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泣くほど美味しかった
最近、特殊な生活をしているせいで食生活が乱れまくっている。
毎食おにぎりパンをそれぞれ1つずつ、たまに味噌汁、さらにほんの気まぐれで野菜ジュース。
流石に12月上旬に上記の食スタイルが耐えられなくなり、一度食生活を整えるために実家に帰った。
そこで、久しぶりに野菜ジュース以外の野菜を摂取。栄養豊富なご飯にありつけることができた。
毎食ご飯が出ることって当たり前なことじゃないんだなあとしみじみ思い、改めて親に感謝を述べた。
どうも自分は良くないところで鈍感だ。
「自分を取り巻く環境が変化してようやく、当たり前だと思っていたことが実は当たり前じゃなかった」
残念なことに当たり前期間を過ぎてからこのことに気付くことが非常に多い。
当たり前ではないことに気付けていないと感謝の気持ちを伝えることはできないから、「なんか迷惑かけてないかな」「知らず知らず助けてもらってないかな」と自分を俯瞰した視点で見つめ直す意識癖を付けることを23歳の抱負とする。
話を戻すと、野菜を食べることに並ならぬ幸福感を得るようになった。先日、高校時代の友達と山梨県に行ったのだが、そこで食べたほうとうがスーパーウルトラミラクル美味しかった。
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泣くほど美味いという比喩表現がある。想像を遥かに超える美味しさを指す言葉だが、僕の場合は僕が勝手に後付けしたもうひとつの意味が支配的だ。その意味は、野菜を摂取できることに身体がびっくりしたその反動で泣いてしまうことである笑
かぼちゃがいい感じに煮込まれてとろみが生まれたスープ、これでもかと言わんばかりの根菜類祭り、太麺だけどするする入る麺、野菜だけじゃなくしっかりお肉も入っていて隙が見当たらない。
人を泣かせるには十分暴力的な美味しさである。
おそらくこれからも野菜に対して感度が良くなる身体に変化するため、次野菜をたくさん食べたら今度はびっくりするくらい笑うんじゃないかな。