執着しないこと
長く勤めた会社をやめて転職した
前の会社は第二新卒で入って以降ずっと働いていた。誰でも知っている大企業で、事業内容にも愛着があり、それなりに責任のある仕事を任されていて、事業拡大に自分なりの貢献をした自負があり、それが誇りだった。早朝から夜中まで、週末も返上して働いた。わからないことを聞かれたり、あなたにしか出来ないなどといって頼られると嬉しかった。期限が短いプロジェクトをなんとか終わらせるために夜中に電話会議したり、休暇中も仕事メールを適宜返信したりしてるとき、自分かっこいいと思ったりしていた。
そんな働き方をしていたのは、仕事と会社が好きだったのはありつつ、そこでしか働けないと思っていたからだ。いまさら転職する年でもないし、そもそも他の会社で通用する自信ない。だから、この会社にとって必要不可欠な人材にならないと、という焦りとプレッシャーがあった。氷河期の就職活動がトマウマになっていて、仕事を失ったら次に働き口を見つけられる気がしなかった。
そんな感情はあらぬ方向に暴走し始めた。同じ部署に新しい人が入ってくると、その人の小さなミスでも見逃さず、逐一上司に報告して、あの人は仕事ができないからうちの部署には要らないとしつこく訴えた。他の人になるべく仕事をまわさないし、なるべく仕事を教えないようにした。自分がいないと仕事がまわらないとなれば、会社から切られることはないだろう。そうすることが保身に必要に思えた。
そんな毎日はとてもストレスだった。上司や同僚の動向が気になって気が抜けなかったから。上司がそっけないとクビにするつもりなんじゃないかと不安で居ても立ってもいられなくなり、同僚の会議予定をチェックして同僚におもしろそうな仕事が割り当てられていることがわかると嫉妬と不安で不整脈が出た。
だから1週間で月給の何倍かを使うような旅行や、数時間で何万もする食事やスパに行って、自分なりにバランスをとっていた。
でも、非日常的な贅沢も次第に慣れて感動がなくなるものだ。行きたい学校に行き、やりたい仕事もして、欲しい車や住まいを買い、贅沢三昧もした。やりたいことはやり尽くした。あとはつまらないことしかないのに働き続けないといけないのか、と、残りの人生を思ってうんざりしていた。
そんなとき、コロナが蔓延し、在宅勤務になり、家の外に出れなくなった。
静寂な部屋で、少しになった量の仕事をして、定時に仕事が終わると、日が暮れるのをながめながら、この先の日々を想像してみた。これからどうなるかわからない。でも、コロナ前と同じ日常生活に戻ることはきっと無いだろう。
どんな危機でも、飲まれるも利用するも、自分次第だ
ずっと行きたかった大学院に行くことにした
いまなら仕事も学校もオンラインだから、なんとか両立できる唯一のチャンスだ。
転職活動もしてみることにした
いまならオンライン面接が主流だから、仕事を休まずに活動できるし、ダメでも失うものはほとんど無い
転職エージェントのアプリをダウンロードして、気が向いたときに面白そうな仕事があればポチッと応募して、なんとなく良さそうと思った会社に入社した
今の会社の事業内容は、正直なところ、さっぱり興味がない。定年までいるかどうかもわからない。だから、なのか、仕事や手柄を独占しようという気が起こらない。なんでも教えて、どんどん任せて、すぐ周りの力を借りる。やってもらったことや、同僚が優れていることを上司や周りに言う。意見がぶつかったらとりあえず受け入れる。
心が楽になった。さらさらした空気が循環してる感じ。一歩善人に近づいたような気がする。いや、手放すこと、ってこういうことなのかもしれない