見出し画像

道後温泉と聖徳太子。温泉を讃える湯岡碑文は、四天王寺亀井水の信仰でもある。


道後温泉本館

未紹介の史料をとりあげます。

写真は現在の道後温泉本館。もちろん、飛鳥時代にどのような建物があったのかは不明です。

伊予国風土記の逸文に記録された、湯岡碑文です。

推古4年。聖徳太子は、伊予の道後温泉に旅をする。その際建立された石碑であるが、実物は残っていない。

文章は難解な漢文で、ここでは坂本太郎さんの翻訳で冒頭部分をとりあげる。

温泉を讃えるだけでなく、当時完成しつつある四天王寺の水の信仰を理解するためにも重要な思想です。

🐢🐢🐢🐢

おもうにそれ日月は上に照らして私せず。神井は下に出でてたらざるなし。万機はゆえに妙応し、百姓(あらゆる人々)はゆえに潜扇(活力を蓄える?)す。すなわち照らしたりて偏私なきは、何ぞ寿国に異ならん。

🐢🐢🐢🐢
寿国、という言葉が使われています。聖徳太子の追善のため、推古天皇が製作を命じた、天寿国繍帳の天寿国と同じ世界でしょう。

当時完成しつつあった、四天王寺の導水工事と、後世亀井水と呼ばれる太陽祭祀の水鏡を念頭におけば、一層意義深く感じられる。

この文章と、四天王寺の創建を関連づけて考えるのは、たぶん私だけです。

天寿国繍帳残欠一部

いいなと思ったら応援しよう!