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2019年の四天王寺と元興寺研究所の亀井水調査の不可解な再現図
新聞発表された亀井水再現図
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この再現図では、水を流すのは不可能です。亀形水盤の頭から横にこぼれてしまう。
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四天王寺亀井水のコラージュ
再現図は南作成
四天王寺さんと元興寺研究所の亀井水合同調査では、影向井は完全に無視されています。つまり最低限の文献調査もなさらなかった。残念です。説得力のある調査にならず、その後の展開もない。
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昭和になり影向井を転用し、戦後破損
三代目レプリカ
初代には凸部に孔があった
形状と寸法は大阪府文化財保護課に記録が残る
中世の浴槽と見なされていた
記録から影向井を再現して幾何学的設計を解明する。遠近法。
影向井の水面の縦横比率、1対ルート3、に気がついて、観測点からの遠近法でふたつの石槽が構成されていることが、すぐに理解できました。
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本来の注水孔
板でふさがれていたり、あまりの暗さで見誤りされてきた、亀井水の記録。
復習しておきます。
亀井水の観察記録で、亀の口から水が出ているとするのは、
*江戸時代中期。亀井水が板でおおわれ、四尺四方のあなからみえていた。つまり、亀形水盤の姿は見えない。上の影向井の先端部だけ見て亀の頭と判断していた。
*明治時代、極度の近眼のラフガディオ・ハーンが暗いなかで影向井を亀と見た。
その可能性のあるデザインの石槽が、西門手水鉢です。現在は三代目レプリカ。初代の凸部には、孔があったと記録されています。
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一方、水を受ける亀井の頭の内側の孔。孔の奥行きは8㎝。さらにその奥には奥行き8㎝の空洞があります。この空洞が受水口でしょう。
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今回、四天王寺さんが公開した再現想像図では、亀の口から水が出ている、と誤認する可能性はないでしょう。
江戸時代冒頭の文献で、影向井を父のシンボルとする説明もあります。そのような存在感のある石槽であったのです。
四天王寺さんは、明治末の改造以後、影向井とは亀井の別名である、という虚偽の説明をされてきました。それが虚偽であるとは、お認めにならないでしょう。
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