お寺の池にも注目
見出し写真は四天王寺の丸池。
直径が飛鳥時代の高麗(こま)尺で12間。
中心伽藍北端から12間のラインの東に亀井水が、西に丸池が配置されている。
亀井水の位置は出水口が変わらないから創建いらい完全に固定している。同様に丸池の位置も変わっていないだろう。
古代寺院に、なぜ池があるのか?といったことはあまり関心を持たれません。亀井水調査から導かれる仮説として、水鏡としての水の信仰に注目します。
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法隆寺、東大寺、薬師寺、中心伽藍に向かう参道右手、つまり東側に、鏡池、観音池と呼ばれる池があります。
実は、昭和の初めまで、四天王寺の南大門の手前、参道の右手には、万代池がありました。天王寺舞楽はこの池のほとりで初演されたと伝わる。今でも、舞楽は池の上にわざわざ設営された舞台で演じられる。
水上の舞楽、それがこの国の芸能の始まりとされる、天王寺舞楽の姿なのです。
古代寺院はなぜ、参道の東側に鏡池を配置するのか。
水と光。聖徳太子の描いた仏教のイマジネーションを伝える古代芸術。
亀井水がその原点です。
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〈朝日を映す水鏡〉亀井水の本質はそう推定されます。
すると日の出の地点は生駒山脈の北端から南端へとめぐります。
生駒は原ヤマト王権、二ギハヤヒと后ミカシギヤの太陽祭祀の山です。その山頂部は、日下(くさか)と呼ばれました。この日下がヒノモト、日本の国名の起源であろうと推定されています。
そして、推古天皇も起源の女王の名をいただき、トヨミケカシギヤ、と尊称されることになります。
日出ル国、聖徳太子がそう自負した国の歴史と福祉国家創成の祈りを映す、水と太陽の芸術遺産。
仏教の受容は、太古からの水と太陽の信仰の土壌に、花開きました。
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四天王寺の亀井水や万代池(昭和初期に破壊)には、朝日礼拝の水鏡の機能があったと推測します。
この信仰は、薬師寺の観音池、法隆寺の鏡池、東大寺の鏡池、と受け継がれたのでしょう。
また岩船寺の名前の由来である参道東側に置かれた用途不明の石槽も、朝日礼拝の水鏡として解釈できそうです。
四天王寺から始まる初期仏教寺院の共通思想として、水に輝く朝日を礼拝するという信仰があったと思われるのです。