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お釈迦様の雨安吾と、四天王寺の夏安吾。お彼岸とお盆の起源は亀井水?


#舎利出し 、#夏安居、#お盆

写真は法輪寺南無太子二歳像。

聖徳太子二歳像、舎利出し法要、夏安吾、お盆、と説明します。話がうまくつながるか?

聖徳太子は二歳の時から、父用明帝の真似をして、東の空を熱心に礼拝するようになります。

そんな二歳太子の手のなかに、舎利(釈迦の遺骨)が表れました。

その舎利は、四天王寺と法隆寺に伝来しています。四天王寺では、毎日欠かさず金堂で、一般参拝者とともに、舎利出し法要が営まれています。

現在は午前11時からですが、明治時代は朝8時からでした。朝の太陽礼拝とともに表れた舎利ですから、早朝が本来でしょうか。

江戸時代初期の文献を見れば、朝10時からとなっています。参拝しやすい時間ということで配慮されたのでしょう。ただし、夏安吾の時期だけは早朝です。

夏安吾の期間は、4月15日から7月15日までの長期に及びます。

インドでは雨季です。雨季には旅をせず、精舎にこもり修行した。雨安吾とも言います。

夏安吾の明けるのが、旧暦のお盆にあたります。中国では道教などの民間習俗と一体化し仏教行事となります。夏に祖先供養するのは、日本でも自然な習俗でした。仏教行事として、お盆は定着する。

四天王寺では、太子二歳の舎利信仰と重なり、夏安吾の結願でもあるお盆が、よりいっそう意味深いものになります。

先祖供養の基底にある、朝の太陽礼拝は、亀井水の本来の機能であったと思います。日本で、お盆が仏教行事として定着するうえで、亀井水がやはり重要な役割をになったでしょう。


推古朝は暦の研究が推進された時期です。お盆の起源を推古朝に求める説があります。

じつは、お彼岸の起源も推古朝にあると、日本書紀の記録から推定されます。

亀井水は太陽観測の装置。暦の研究と、仏教行事の定着に、亀井水は重要な役割を果たしたと推測いたします。

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