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令和4年大阪市指定文化財と認定された亀井水の、公の説明が問題あるんだが。私が説明しても、あれだしなあ。でも、文化財指定されて、影向井を失うような失敗を繰り返す心配はなくなった。

四天王寺さん自身による亀井水調査に基づき、一昨年(令和4年)大阪市指定文化財となっています。

この調査、説明の誤りに言及をさけてきたのは(すこしは言及してますが)あまりにも基礎的な問題すぎて、四天王寺さんは私の見解も承知されたうえでそれを否定されているわけで、あえて対立するのは面倒だな、というわけで。

明治以前の文献、図面、絵画を精査すれば、亀形水盤の上に影向井という石槽があったことは、明らかです。

しかし、それを明らかにすれば、明治末ごろの四天王寺の管長と関係者が嘘をつき、記録を捏造したことが明らかになります。

また、西門手水鉢に転用された影向井の保存に失敗したことも、明らかになります。

明治末から昭和にかけての四天王寺の責任者が、亀井水をあえて無視し続けた責任も重大です。


というわけで、影向井の存在、西門手水鉢の由来について、四天王寺さんとは全く見解がちがう。

で、大阪市文化財課の説明は、私にすればとんでもない。

ですが。

こういうことを口にする立場の人間ではない、自由人として、私の調査を発表しつづけます。

影向井と亀井、再現図
西門手水鉢二代目レプリカと現在の三代目レプリカ、戦後伽藍再建時の初代の真っ黒な手水鉢
二つの石槽が遠近法で配置されている
影向井(初代西門手水鉢)の設計図
比率ルート3
九条兼実『玉葉』にメモされた亀井。形状から影向井をスケッチしたもの
重要なのは中央右の首元の導水孔
四天王寺さんの調査では完全に無視


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