石切神社の亀信仰と夢観音。四天王寺亀井水から礼拝する生駒山にいますミカシギヤ姫を知り、推古天皇の諡の起源の古代トミに懐かれる聖徳太子の歴史認識に、涙が止まらなかった。亀井水をトミの井の水と詠んだ秘密が解明された。(2024年10月再編集)
亀信仰と登美霊社
石切神社の亀信仰。
亀井水の幾何学的設計が解明されたとき、朝日を映す水鏡として、生駒山地の山頂部、日下(くさか)の地が特別な意味をもつことがわかりました。
そこにあるのが、石切神社。四天王寺に劣らぬ庶民信仰の聖地です。
さっそく、参拝へ。
私は山麓の下社しか知らなかった。
そこに、水神社があり(祭神ミズハノメ、罔象女)その周りを亀の池がとりかこんでいる。狭い池だが、ここに亀を放生する信仰があったという。しかし、四天王寺の亀の池とちがい、狭すぎる。
で、考案されたのが、小さな陶器の亀である。
まず、青い亀は、願い事を小さな紙に書き、亀のお腹に差し込み、専用の池に奉納する。
もうひとつ、ピンクの亀が売られていた。願い事が成就したら、上社に奉納するのだという。
上社を初めて知った。
参道を生駒山の中腹まで、登る、登る❗あった、二ギハヤヒの本殿。そして后のミカシギヤを祀る登美霊社。
その傍らに亀奉納の池。
ミカシギヤの御霊を前に、私は泣いた。推古天皇の尊称、トヨミケカシギヤが、ミカシギヤから頂いたものにまちがいないではないか。
亀井水は、ミカシギヤのもとへ、導いてくれた。
石切神社の宮司さんは、二ギハヤヒとトミの国の歴史を小説に書いておられました。売店で購読。パンフレットも二冊買い、お世話になっている、新潟市の小林昌二先生に、地元郵便局から送る。
トミという偉大な国があった。野蛮人と蔑視されている彼等こそ、この国の王権の起源ではないか。
亀井水の幾何学。そして、推古天皇の尊称。本来の歴史認識は、トミから始まる。
ミカシギヤの前で流した涙は、まことの浄化の証しでした。
夢観音
ヤマトに大隕石の王=ニギハヤヒがやってきて、現地のトミの国のトミヒコとトミヤヒメ=ミカシギヤ、らとともに、ヤマトの国を造り上げる。
そのトミの太陽祭祀の山が生駒です。その信仰を伝える、石切神社。
山麓の下社は、あまりにも有名です。しかし、上社まで登ってくる人はすくない。
ニギハヤヒの本殿、ミカシギヤの登美霊社。ここで私はミカシギヤを知り涙した。亀井水の謎を解く鍵が見つかった。
そして、明治以後の神仏分離の錯誤に挑戦する、あまりに斬新な観音様。
🐢🐢🐢🐢
山にひそむなにものぞ
歴史をねじまげられ
焼き捨てられた記憶
異形なりと吐き捨てられ
チリあくたに砕かれ
いかにねつ造のよろいに閉じられて
しかし山は死なない
いびつとしか見えぬなら
永遠に嘘に生き滅びるがよい
南無観世音大菩薩
すがた定めぬ変化なれば
定めぬままに愛に包め
🐢🐢🐢🐢🐢🐢🐢🐢
石切神社上社夢観音
開堂日は限られています。拝観できなかったので、写真はGoogleより。
ミカシギヤの御霊にいだかれて涙がとまらなかった
石切神社上の社は、ニギハヤヒとミカシギヤ(トミヤヒメ)を祀ります。
ミカシギヤのためには、本殿以外に、登美霊社を建立し、そこでは参拝者自身の自我を自我霊尊として慈母ミカシギヤのもとに祀ります。すこぶる哲学的な社です。
私は、四天王寺亀井水の太陽祭祀の幾何学的構造から、生駒山頂部にある石切神社が大切と、訪問しました。はじめて、ミカシギヤの名前を知り、登美霊社のなかで泣きました。ほんとうに涙がとまらなかった。
推古帝の尊称、トヨミケカシギヤ、はあきらかに、ミカシギヤからいただいたものにまちがいありません。
四天王寺亀井水が、飛鳥王権と、原ヤマトであるトミの国を結びつける、証明である。
トミ、という言葉が、ますます重要である。聖徳太子の歌などの、トミ、が、四天王寺を含む古代世界のキーワードになりました。
幼少期より朝の太陽礼拝を欠かされなかった聖徳太子。彼がなぜ生駒山を太陽の山として礼拝する亀井水を設計されたのか。ヤマトの幻境としての古代トミの国への思い。遺言歌にもしるされた、トミの井の水は、やはり、亀井水にまちがいない。
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