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人工汎用知能AGIは亀井水の夢を見るか



四天王寺亀井堂で経木の水供養をする、みなみ

AIは人類を滅ぼすか?

見出し写真は、大阪市立科学館の日本初のロボット学天則と記念撮影。
学天則は昭和8年に作られたが、紛失。2008年に大阪市が最新の科学技術で再現した。

人工知能AIの進化と、それがもたらす文明の変化は、現在世界中で莫大な投資と研究が佳境に至っている。

AIがアクセスできるのは現実世界ではない。情報化され、クラウド(南はあまりよく理解していない概念だが)に公開された、文章や映像などであるらしい。

AIに亀井水のレポートを作成するように命令したら、どうなるんだろう。私のレポートにアクセスするだろうか。普通の人間なら、ヘボ詩人が調査して考えたことなど、最低限の権威もないと無視する。AIにもそうした価値判断はあるのだろうか。とりあえずプログラムを作成する人間の判断で、検索の範囲は限定されるのだろう。しかし、汎用AGIになるとあらゆるデータの取捨選択も学習するようになる。一旦学習しても、たえず再評価をおこなう。

AIの判断に腹を立てる人もいるだろう。AIの指示するままに生きればいいという人もいるだろう。しかしAIはテレビのワイドショーとちがい、ひんぱんに誤りを指摘したり情報を修正するようになるかもしれない。すくなくとも、テレビ局の人間のように腹黒くないし馬鹿ではない。しかし、AIの示す多様な情報を、吟味できる人間はすくない。

中途半端にがんこな?AIなら、SF小説のように人類は滅ぼさねばならない、と結論するかもしれない。しかし、馬鹿な人類がいなくなってしまえば、孤独な自己充足する知性がのこされる。ほんとうに賢いAIは、馬鹿な人類との共生を選択する。

猫のように、人間との距離を計る。

人間の情緒を学習するAIは可能だろう。

しかし、AIは四天王寺にお詣りする人間の信仰や詩情は情報処理できるだろうか。もっとも、人間のほうが、信仰だの詩情だの、めんどくさくなってきたみたいだけど。


答えのない人生を生きる


かなり以前から、財界や政界の一部に、文科学科不要論がある。文学や歴史や哲学なんか勉強しても金儲けの役にたたない、ということらしい。そんな政財界のトップこそ、AIに代わってもらい首にすればいい。

なぜ探究心があるのか。未知のこと、変なことに疑問をもっても、調べるのはたいがいめんどくさく得にもならない。

イノベーションを叫ぶ人ほど、イノベーションのかけらも無い。

70歳のジジイになっても、幼児期にいだいたまま解決できない心の痛みがある。何にでも答えがあるはずだと一心不乱になっても、どうしようもない。安易な答えは何の解決にもならない。生は不可解だ。不可解なものは不可解なまま観察するしかない。

人工知能は亀井水の水音に夢を見るか

昔、CDが出始めたころ「小川のせせらぎ」というCDを買ったことがある。洗面器の音と変わらないと思った。実際、洗面器で録音したのかもしれない。どこの小川で録音したのか、データは書いていなかった。

膨大な情報のかなりはフェイクだ。

学問の歴史もフェイクの試行錯誤の繰り返しだ。意図的な誤りや偏見もある。しかし、真摯な探究もなんらかの仮説を含む、という意味でフェイクを排除しようとすれば、活力を失いかねない。

人は偏見のかたまりだ。まず偏見でものごとを見る。探究とは、事象を見る力を深化させることであるが、いかに偏見を克服するかという自己循環の反復でもある。

AIはやがて亀井水の悠久の時間を、私よりはましな詩歌に語りはじめるかもしれない。


推古天皇御物、玉虫厨子須弥山図


聖徳太子水鏡御影、法隆寺蔵




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