亀井水古典文学選~基本資料再編集
見出し写真は、17世紀に大流行した、四天王寺住吉大社屏風。四天王寺所蔵の貴重な作例。
他の作例では、需要が多かったために単に模写したものが多い。亀井堂の外観を強調するばかり、まれに想像で中に亀を描いたりしました。想像では、亀が口から吐水することになり、水盤が亀だとは思い及ばない。
この作例では、中の二つの石槽水盤を描くことに腐心しており、お堂の外観は簡略化されている。
また、参詣の娘と老婆が経木を手にしており、信仰の現場として亀井水をよく知る作者によるものと推測される。
🍀#聖徳太子遺言歌、「法王帝説」より。
いかるがのとみのいのみず
いかなくて
たぎてましものとみのいのみず
(とみのいのみず、は亀井水であろうと、推理します)
🍀聖徳太子撰述、勝鬘経義疏より
阿耨達とは、無熱龍とも呼ぶ。無熱と名づける龍がこの池に住んでいるので阿耨達池、#アノクダッチ、と名づけるのである。その池は崑崙山の頂上にあり、その水は四方面に流れ出て八河となっている。
このたとえは、大乗が始めてもろもろの教えを生ずる始源であるという意義を説いている。
(亀井水の源は、この無熱龍が吐き出す清涼な水であると、後の知識人に語りつがれてゆく)
🍀四天王寺御手印縁起。1007年。冒頭部より。
此の地七寶を敷く故に青龍恒に守護す、麗水東に流れる、白石玉出水と号す、慈悲心を以て之を飲めば法薬と為す、…
🍀相模歌集。1030年頃。
千代過てはちすの上にのほるへきかめ井の水に影は宿さん
🍀藤原彰子。1031年参詣。
濁りなき亀井の水をむすびあげて心の塵をすすぎつるかな
🍀弁乳母歌集
よろず世をすめる亀井の水やさはとみのをかわのながれなるらん
🍀赤染衛門歌集
こふをへてすくう心の深ければ亀井の水はたゆるよもあらじ
🍀郁秀門院安芸 新後選 1123年
まれにとて御法の跡をきてみれば浮き木にあへる亀井なりけり
🍀西行 山家集 1173年
浅からぬちきりのほとそくまれぬる亀井の水に影うつしつつ
🍀女房大輔 頼政家集 1177年
底きよみむすふ亀井の水すみて心のあかをすすきつる哉
西のうみ渡す心の月の舟亀井よりこそすみのほるらん
わか心かめ井にすめと西へ行く月の舟にそのり帰りぬる
🍀玉葉 九条兼実の日記 1187年8月23日後白河法皇の灌頂にさいして
余覧亀井 此次洗手 次見閼伽井
(覧と見の使い分けが興味深い)
🍀後白河法皇 源平盛衰記
墨吉の松吹かせに雲晴れて亀井の水にやとる月影
🍀藤原定家 拾遺禺草 1189年
諸人のむすふちきりはわするなよかめ井乃水に劫はへぬとも
🍀藤原俊成 夫木抄 1190年
萬代も御法のなかれたえしとや亀井の水のきよくすむらむ
萬代の亀井の水をむすひおきてなかれうれしき世にもすむかな
🍀慈円 拾玉集
舎利廣流布
末の世に亀井まてすむ影にてそ広くしきける光とは知る
故郷の鶴のはやしに入月のわくる光は亀井にそすむ
身を分けて鶴のはやしを出でしより亀井にうつる有明の月
🍀一遍絵伝 1299年
亀井なかれひさしく法水たゆることなし
🍀北畠顕家の妻 吉野拾遺
1358年
のちの世のちきりのために残しけりむすふ亀井の水くきの跡
🍀謡曲弱法師(よろぼし)
世阿弥 元雅 1397年
シテ(俊徳丸)よろずよに、澄める亀井の水までも、
地謡 水上清き西天の、無熱池の、池水を受け継ぎて、流れ久しき世々までも、五濁の人間を導きて、
🍀三条西実隆 吉野詣記1524年
あしき道六をかくせる亀の水五つのにこりここにすまさん
1533年参詣奉納歌
汲みてしれ絶せぬ法の水はみなとみの緒河の末にやはあらぬ
まれにきてむすぶ亀井のみずからや浮木にあへるたぐいなるらん
Facebookページ亀井堂水の信仰
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