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明治以前の亀井水の姿を証明する重要文献『四天王寺秘密記』。そして愛情の仏様愛染さんの勝鬘院。2024年11月再編集


勝鬘院の愛染かずら

四天王寺の乾(西北)の道祖心的存在である、支院勝鬘(しょうまん)院愛染堂。境内の愛染かづらは、空襲の被害をうけながら、この聖域のシンボル的存在です。

聖徳太子が勝鬘経の講義をおこなったのが、名前の由来。勝鬘経は勝鬘婦人という女性を主人公にした経典。推古天皇に講義するために選ばれたのかもしれません。また、その講義の記録、勝鬘経義疏(ぎしょ)には、亀井水の水源と信仰されるはるか西方世界の湖、無熱池(むねつち、アノクダッチ)の存在が説かれています。仏教が世界に広がる根源の世界の湖。無熱龍という龍神がたえず水と仏の知恵をとどけてくれる。それをこの日本で受けとるのが、四天王寺の地下に棲む荒陵池の龍神さま。

また、四天王寺の四箇院のひとつ、施薬院がここにあったと伝わる。

乾にまつる道祖神は、古代ではしばしば男女の性器そのものが造形されました。しだいになかむつまじい夫婦像に変わってゆきます。

この勝鬘院のご本尊が愛染明王。明王ですから見た目は怖いですが、お名前のとおり愛の仏さま。

施薬院であり、かつ性愛のシンボル。生命力みなぎる愛染まつりはまだ梅雨のあけきらないしとしととそぼ降る時期の、大阪の夏祭りの開始を告げる大切なお祭りです。

ポスター

割れ鍋に綴じ蓋

江戸時代以前からの、亀井水の構造を実証する資料はなかなかありません。亀井水は暗くて見えにくい。江戸時代後期は、板で蓋がされ中央の孔から覗くようにされていたから、秋里籬島や太田南畝らの貴重な観察では、亀形水盤はまったく見えていなかった。それが大きな誤解を生む原因となった。

江戸時代のかるた

破れ鍋に綴じ蓋。という言葉を思い出して、破れ鍋、綴じ蓋、男女どっちがどっちだろか、と考えていたら、重要な文献を思い出した。

💕四天王寺秘密記

前書き、慶長18年。1613年。

裏書き、文化8年。1813年。

豊臣時代から江戸時代まで読みつがれた?重要文献である。四天王寺の名所を、すべからく、男女の営みで解釈する。

亀井水はこう書かれている。

「此の水を白石玉出の水と云此の水に太子かげをうつしみずから懐中に楊枝にて御かげをうつし則宝蔵におさめて有り是則父母の会合の水之口より出て口に入是則会合の所也」

美しいラブシーンである。

と同時に亀井水がどのようなものであったかを実証する、資料である。

亀井水の排水路に置かれていた仁徳期の石棺の蓋は、父の一物であるとする。だから女性がまたぐと、子宝安産のご利益ありとされた。この父とは聖徳太子のことでもあったと、充分想定されます。  

亀井と影向井がどのようなものかを推理する、貴重な資料ですね。

あるお坊様は、縦長の亀井の水面を、女性のシンボルそのものではないか、とおっしゃった。

確かに。

しかし、口から出て口で受ける、亀井水のすがた。色々しらべて、私なりに確信した、亀井水再現図です。

すいません、すこしぼやけてますが
2000年に発見された飛鳥の亀形水盤と
四天王寺亀井水の
同縮尺比較


いつもお見せするコラージュ


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