聖徳太子の遺言歌。前日に亡くなった妃を、トミの井の水と喩え、あの水を飲んで浄土へ旅立とうと語られた。あの水は亀井水なのか。
再び
#聖徳太子遺言歌
再構成いたしました。
トミの井、は、亀井水のもとの名か⁉
(折口信夫によれば、トミは龍神のことらしい?)
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聖徳太子の辞世の歌をご存知ですか?
『法王帝説』という文献に記録されています。
いかるがの
とみのいのみず
いかなくに
たぎてましもの
とみのいのみず
簡単そうで、実は不思議な歌です。
このような説明が添えられています。
太子が亡くなる前日、やはり病にふした、膳(かしわで)妃も亡くなろうとしていた。妃は、水を乞うた。しかし、太子は許さなかった。
そのまま亡くなった膳妃を偲び、太子もまた命果てようとするまぎわに歌われた。
病人が水を求めるのに、なぜ太子は許さなかったのか?未練がましく後悔して辞世の歌としたのか?
ほとんどの研究者は、とみのいのみず、は斑鳩を流れる富雄川だと解釈します。
しかし、とみのいのみず、の言葉の反復がなんとも稚拙です。
いかなくに、生きていない、の主語は、当然膳妃ですね。では、いかるがのとみのいのみず、という言葉全体が膳妃の比喩となります。
あのとみのいのみずのような清らかなあなたはもう生きていない。私もまもなく死ぬ。共に、とみのいのみずを飲んで旅立とう。
すると、とみのいのみず、は斑鳩にある水ではない。
すぐに採ってこれる水ではない。
とも解釈できます。
私は、とみのいのみず、は、後に亀井水と愛称される四天王寺の水であろうと、考えています。
それは王家にとって特別な意味をもつ水です。膳妃が求めたのは、后として特別な地位であり、その証しとしての水です。
太子は、それにはためらわれた。
しかし、翌日、自分も死のうというとき、あの水を共に手にむすび、仏の教えの源である無熱池へ旅立とうと歌われた。
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歴史資料をどう理解するか。答えはひとつではない。
多様な理解がある。楽しいです。
私は正しい、と硬い信念を持てるひとはそれでいい。私の調査しているのは形さだめぬ水の信仰です。私は形なき変なおじさんです。
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とみ、という言葉について、問題点を整理しておきます。
🍀折口信夫は、とみ、は蛇のことだとする。水と蛇信仰は不可分で、大蛇は龍神としてさらに神格化される。
四天王寺の守護神は龍神であり、亀井水は龍神の水、トミの水である。
🍀神武は架空であるが、そのライバルのトミヒコとトミの国=龍神の国は実在であろう。ヤマトの歴史の第一の王は、トミヒコとトミヤヒメ(ミカシギヤヒメ=聖徳太子の時代、推古天皇のおくりな諡号として捧げられた)の兄妹である。
亀井水はトミヒコとミカシギヤヒメの太陽礼拝の山、生駒山を礼拝する水鏡である。