【自分を変えたい人へ】詩とか、いろいろ。(1)
詩作品
「今海岸に乗り上げている」
海岸に
乗り上げ空は
晴れ
崖の上の桜は
夏に転生
海岸の
向こうに船は
今帆上げ
波にゆらゆら
ゆれているだけ
この詩にまつわるエッセイ
海。日本には、多くの場所に海が存在している。
もちろん、地球規模で考えても、北の果てにも、南の果てにも、西の果てにも、そして、東の果てにもある。そこから、朝日が昇り、西日がきつくなり、やがて夜になる。
昼間遠くに、ボートを漕いでいた人がいたような気がする。
その人は、自分に何かをしてくれるわけではない。しかし、その人から何かを受け取った自分は、明日の自分を、すこしずつ、すこしずつ、海が満潮になっていくように、変えていける可能性はある。
この詩の解説
まず、タイトルが、「今海岸に乗り上げている」となっている。「今」という言葉が、なぜ必要だったのか。色々な考えはある、と思う。ただ、1つの考えとしては、この詩を投稿したエックスが、今に敏感なSNSであるため、今という単語を使った可能性はある。他にもこのタイトルの意図はある、と考えられる。
1つ目の短歌部分で、気になるワードを1つ挙げるとすれば、「崖の上の桜」となる。もちろん、「転生」も気になるワードだが、崖の上の桜は主語であると同時に、そのシチュエーションが、若干この地球とは異なる異空間に存在している感覚がある。
2つ目の短歌部分においては、「海岸の向こうの船」らしきものが存在している。そして、その船をただ描写している、だけに見える。ただ、描写といってもやや細かく、リアリティがあると同時に、ゆらゆらという時のゆらぎ・永遠性みたいなものも感じられる。
自分の詩を分析して色々言っているが、はっきり言って、ものすごくひやひやしている。自分の詩が、いかにすごいか語っているみたいで、はずかしい。でも、いい部分はあると思うので、少し語ってみた。
あなたは、この詩を初めて見た時、どのように感じましたか。読み終わった後でも、自分はこういう見方ができるよ、という意見や感想みたいなものがあれば、よかったら、コメントに書いてみてくださいね。
この詩から考察する詩論
今回は、詩の静かさについて、考えてみます。
詩とは、基本的に静かなもので、芸術とはそういう系のものを指すのかもしれません。なぜなら、静かなものを見ることによって、心が鎮静し、その心を持って、適切に現代社会によい影響を与えられる、と考えるからです。
では、静かな詩って、どうやって作るの?という話になりますが、静かな詩は、やはり、静かな心から生じるものと考えます。
頭の中がごちゃごちゃしている状態で、静かな文章が書けるか、というと、おそらくむずかしいですよね。
となると、頭の中を常に、可能な範囲できれいにしておく必要がありそうです。例として僕がやっていることを挙げると、
日常のルーティン化(考える時間を少なくする、という目的のため、1日の中の一部をルーティン化するとよいかも)
頭の中を書き出し(書き出した上で、内容を冷静に見て、整理修正)
瞑想系(雑念に気づく・体の感覚に集中し、思考をやわらげる系)
になります。これらの内、自分に合いそうなものを選んで、日常に少し取り入れることによって、静かな文章が書きやすくなる、と思われます。
詩を書く上で役に立ったと思われる情報
この詩を書く上で、役に立ったと思われる情報というか、題材なのですが、「海」になります。要は、自然ですね。
自然を感じる、というのは、先ほどの詩論でも述べた静かな心を作る上で、大いに役立つ、と思います。
自然を感じる、ということは、科学的にも有効である、とおそらく色々な場所で言われていることかな、と思います。なので、自然に触れる時間を、1日5分とか、10分とかでよいので、日常に取り入れてみるとよい、と思います。
例えば、観葉植物を買って、育てるでもよいと思うし、空を見上げる、風を感じる、あえて小雨の中で少しの時間立ってみるなど行うと、
観葉植物に触れる
空・風を感じる
小雨の中で少し雨に打たれる(イヤなら、やめておきましょう)
そこで起きた出来事を詩にできるかもしれないし、詩の質に関わってくる可能性はある、と思うので、よかったら参考にしてみてください。
今回の記事は、以上となります。
少しだけ挑戦的な記事になりましたので、少し見づらい部分もあったかもしれません。その場合は、コメントやスキ等で、表現・伝えてくれるとうれしいです。今後も続けていく場合、微調整していきます。
ここまで、記事をお読みいただき、ありがとうございました。