偏屈狭窄の世界からゆるく夜桜を見に行く
2023/03/30(木)
〇洗濯
シーツを洗った。
シーツを洗うくらいに元気になった。
今日の風はからっとしていて、でも埃っぽかった。
ベランダでシーツを干しながら満開になっている遠くの桜を見て、気持ちが焦った。
今年は桜を見に行けないかもしれない。
〇ニュースはもう見ない
家にテレビを置いていないし引きこもり生活なので、せめてニュースはしっかり把握しておこうとLINEでLINE、朝日、毎日、NHK、ロイターと5つ友だち登録している。
朝夕の2回、もしくは3回、毎日11回ニュースが送られてくる。
しかしもうしばらくこれらのニュースにイライラしている。
イライラの原因、そのひとつは「煽り見出し」とでも言うのだろうか、何のニュースか分からないまま刺激的な見出しでクリックしてみると、ほぼゴシップネタだったといったことが常態化していることだ。
そんなの興味ないよと思いつつ目を通してしまい、気持ちを悪い方法に揺さぶられたりする。
さらにイライラするのは、信頼できると思っていた新聞社のニュースでさえまるでワイドショーのような感情的(とても小規模の扇動さをもって)問題意識を投げかけるという手法を取っていることだ。
(それは本来正攻法のジャーナリスティックな方法なのかもしれないが。)
例えば
→こんな事件が起こりました。
→この人が傷つきショックを受けています。
→ショックを与えた側は、その組織の偉い人がコメントを出すか、事実関係を確認の上…という対応をしています。
こうなると事件の検証や相互の主張を公平な手段で検証することもなく、メディアは傷つきショックを受けた人に同情し、組織や相手側を無思考で批判する。
最近新聞メディアもこの手法を使っていることが多い気がして、読む気を喪失させられている。
もっと新聞紙面のように1面は把握しておこうとか、川柳おもしろいとか、自分の関心のあるページだけ見るとか、そういった自由な情報収集をしたい。
いい加減1日11回もニュースを観ることに疲れたし、しばらくちがう方法を考えようと思う。
こんなことを書くと自分がとても偏って頭の固い人間だと自覚するので、書くことを迷う。
人や社会とのつながりが薄い分、狭い固い偏屈な世界に自分を閉じ込めてしまっているのかもしれない。
でもこれが今日私が感じたことだ。
〇日が暮れた
気付いたら部屋の灯りが必要な時間になっている。
そう気付く瞬間はけっこう好きだ。
ワーカホリックの姉に連絡を取ったら、今日は少し早く仕事が終わるらしい。
二人で夜桜を見に行くことになった。
❀ひとり言にお付き合いくださってありがとうございました。
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