未来文明史論2019(1)序文
『過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える。』ニーチェ
序文
本稿は、急激に変化する世界をより冷静に観察することを目的に、いま・じぶん・ここにいる私という視点で、「未来」史を編纂するものである。その方法として、文理系や西東洋を問わず、時代を超えて、いままでの歴史や各メディアを通じて、史料批判することで、意見を述べたい。
従来より、いわゆる「文系脳」「理系脳」のように、専門だけに拘った考えしか持たなかったことである。ある専門の、純粋培養の人材にならないように、自戒したい。サイエンスによる輝かしい発見が、思わぬところで、軍事利用や他者を傷つけてきた事例は、数え切れないだろう。または、政治家のなかで、様々な美辞麗句を並び立て、自己の利権をむさぼり、人間を殺めて英雄になったものも多い。それらを判断するべく、人間の業(ごう)を指摘する『文学』が必要だと思う。「文学が役立たない」ということへの反駁である。と同時に、文学のロマンに埋没して、現代を見うしなってゆくことへの危惧も兼ねる。
「まつろわぬ民」という言葉がある。辞書によれば、『平定事業において抵抗を続け、帰順しない民族。などの意味の表現。「古代において蝦夷の民は、王朝にとり、まつろわぬ民であった」などのように用いられる。』とある。自分の立場や生活してきた環境をつねに考えると、多数者に抵抗する日々だった。
なお、拙文は、追加・修正など期日を記して、たびたび変更することをご容赦願いたい。#完全原稿 として公表するのではなく、#メモ #小論 として更新したいのである。一度出版したら、なかなか直せないけれども、このアプリであれば、自由自在に訂正できる利点がある。私は持病のため、残された時間は少ない。たとえ論理の順番が雑になっても、#思いつき のまま残すことで、「記録」を重視したい。
筆者は、ツィッターやブログも並行して運営している。あえて、この場を使う意味はあるだろうか。小論文を書くにあたって、約束を決めたい。第一に、「陰謀」史観にならないこと、第二に、個人や団体を誹謗中傷しないこと、第三に、批判ではなく「批評」したいこと。第四に、コピー&ペーストの集積にならぬように、引用文には出典を記し、オリジナリティを重視したい。芥川龍之介『侏儒の言葉』を目指したい。(令和元年5月9日、10日加筆)
以上