はじめての入院 その3【完】

こんばんは。2月下旬に、#インフルエンザ に罹患してしまい、寝込んでしまいました。また、愚妹が大腸再検査になり、てんわやんわです。病気が多い年回りってあるものですね。

3月1日が始まりました。2018年度も終了ですね。

以下の文章は、あくまでも「はじめて入院した者にとって、いろいろと考えたこと」をだらだらと書いたのにすぎません。そのプロとは目線はぜんぜん違います。また、地域によって、入院した病院の規模や出会えた医療従事者によって、印象はぜんぜん違うと思います。このことをご容赦いただいて、お読みください。


▽入院という経験とは:

だれでも一生に一回以上は、入院する経験があると思います。

入院生活は、前半は病気の精密検査が中心となり毎日忙しかったですね。後半は「ひま」で、病室の窓ガラスを観ながら、サクラが開花、散る様子を毎日眺める日々でした。「病気ってなんだろう。病院ってなんだろう。病人ってなんだろう、、、」と日々考えていました。

まず、最初の弊害は、世間と私との“心の壁”を作ってしまいました。これが「入院の後遺症」のひとつです。「あたりまえ」のことが「あたりまえ」でなくなります。医師に病名をつけられて、突如として「病人」になります。
「病人になること」で、心身とともに追いつめられます。

健康だった人が「病人」となるわけで、もしも病気が判明できない時代であれば(※いまも原因不明の病気はたくさんある)、健康であり続けて寿命を全うできるのです。人間は必ず死にます。


▽病人であること、受容の時間が必要となります。

【参考】エリザベスキューブラー・ロス『死ぬ瞬間―死とその過程について』 (中公文庫)

内容紹介:末期医療を考える一冊。 第1段階「否認」→第2段階「怒り」→第3段階「取引」→第4段階「抑うつ」→第5段階「受容」といった、死の受容のプロセスを説明。

 
 わたしの座右の書に『きけ、わだつみの声』があります。戦没学生の遺書集です。わたしの最初の師匠が、学徒動員世代で、大学1期生のときに読みました。「ある学生が《兵士》となり、必ず戦死する戦地において、どのように死を受け入れて『特攻』にのぞむか、いまの気持ちを遺書として残すのか、家族や友人にどのように伝えたのか」という点に興味関心がありました。生と死、死生観、病と死、など、研究分野の宝庫でした。まえの文章で、「戦争が原体験」と書いた所以がここにあります。寿命がたとえ15歳でも「どのように生きるか」で、濃厚な生き方もできるはず、と思うようになりました

だれも知らない戦地に征き、病気で戦えなくなった「戦病者」がどのように生きるか、自分に重ねて考えていました。わたしは仕事で病気になった、いま読んでいる手記は約70年前、戦争で病気になった。いま日本は戦時下ではないけれども、長時間労働はもはや「戦争」状態と思います。《眠れない・休めない・食事できない・ストレスがたまる・不条理なことを強制的にやらせる》など、酷似しています。


▼医療従事者と患者との関係について:

いま、教員や医師の過剰な残業時間について議論が奮闘しています。非人道的な時間で、過労死が増加しているわけです。つまり、教員と学生、医師と患者との関係に影響が出ているということです。

医療と社会福祉にはお金と時間がかかるものです。しかしながら、あえて「医療の資本主義」は否定したいのです。富裕層向け医療設備の充実、一部の医療経営者による独占支配、裏口入学を容認する大学関係者やそのまま放置した文科省や厚労省、新薬で多大な利益をえる製薬会社など、あまりに「しがらみ」が多すぎる業界ですね。

医療現場では、修羅場です。入院しているとき毎晩のように、救急車の音で眠れないほどでした。また、患者で高齢者の方で、看護師さん理学療法士さんに暴力を振るう方もいました。


▼あえて理想論を説く“仁”術としての医学を実践してほしい。

もちろん、個人差がありますし、病院や先生など、規模や人格差もあるので、一概に言えないことかもしれませんけど。わたしは、上記のごとく、嫌な入院を経験したことは事実であります。

これで「はじめての入院」のエッセイは終わります。

これかも何度、入退院を繰り返すか分かりません。また、入院して最期まで過ごすこともあるでしょう。いままでの経験を活かして、なるべく最期の最後まで悪あがきしたいです。一人だけでは生きられませんね。

※これからの予定:趣味である映画・読書の感想や関心あるテーマについて、書きたいと思います。なにか身体に異変があれば、差し込む形で報告もします。Twitterほど気軽につぶやくこともできないと思いますが、読み物として、2000字~2400字でまとめることを目標にしたいと思います。

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