ドラマティック
久しぶりのnoteである。
眠れないので徒然なるままに思いを記す。
久しぶりすぎて目次の作り方も忘れてしまった、まあいいや。
近況と心境
>久しぶりすぎて目次の作り方も忘れてしまった
書いて速攻思い出したwww
えっと、このような情勢で一番状況が変わったのは、やはり演劇に触れる時間が極端に減ったことです。
ここ6年ほど、何かしらの公演に向けての稽古をしていたり、毎月最低2本くらいは観劇をしていたので、その時間がなくなるとこんなに空虚になるんだなと驚いています。
緊急事態宣言が出た直後くらいから、主にインプロ方面でオンラインでのワークショップの情報が多く入ってきて、4月前半はそれを受講して忙しく?していました。
普段なかなか出会えない地域の人とか、名前を聞いていて活動も気になっていたけどリアルでワークショップを受ける機会がない人とか、そういう方々と日々交流できる環境になって学びが広がるな、と思う反面。
初対面の人とオンラインで演劇やらインプロをする、という心理的緊張は意外とあるようで、そこを柔らかく取り除いてくれる人のワークをチョイスしていきたいなと思いました。
自分も実践できるか、ちょっといま余力がないので難しいですが、徐々に探っていきたいです。
でも、大前提として、私は総合芸術としての演劇が好きで(劇場に足を運び、そこにある舞台装置を目の当たりにし、音響、照明といった舞台効果を感じるためにリアルの体験はやはり不可欠だと思う)、相手の感情の流れを感じたりお客さんの反応を見ながらやっていく即興芝居というものをしたいので、自分の中でオンラインは代替とはなってなくて、一日も早く日常に戻りたいです。
あと、先日ほぼ唯一の肉親である父親が軽度の脳梗塞を発症して緊急入院となりまして、その対応にあたふたし、重なるときは重なるなあ。。と思っているところです。
もう医療的処置に関しては私がどうこうできることではないので、病院の皆様のお力を借りてなんとかよくなってもらいたい。
こういうご時世、原則外部からの面会禁止ということでなんとかLINEを駆使してコミュニケーションを図っています。
この機会にスマホに慣れてくれ。
で、なぜまたnoteを書き始めたかと言うと、
昨年末くらいから、仕事を始めとするいろんな環境がめぐるましく変化し、なかなか心が疲れています。
「この人、人のためとか言ってきっと自分のために発言してんだろうな」
「人を駒としか見てなくて、気持ちとか考えてないんだろうな」
みたいな人が次々と現れて、マジで人間信じらんないな、と思っていました。
ただ、そういうときに話を聞いてくれたり、私はこう思うよーと新たな視点をくれる人もいて、とても助けられています。
なんだかありがとうが伝わっていない気がするので、この場でありがとうと言わせてください。
前者のような方々は自分の中で遠い存在として、反面教師として過去のものにするので、今しっかり関係を築いていきたい方々とコミュニケーションを取っていければと思います。
時間は有限なので。
あと今日、人と話していて、自分がやりたいことってやっぱり根源は「誰かが生きていくためになにかできることをしたい」って欲求なんだと思いました。
家庭内不和をなんとかしたい、病気を治したいと、高額なお布施をしたりひたすら救済を願って祈る人をずっと子供の頃から見ていて、それだけでは解決できることもあるんではないかと、その人達が自立して生きていく具体的な手段を一緒に探したくて福祉を志したじゃないかと、初心を思い出したわけです。
でも利益を追っていたら到底それを実現できない気もしていて、じゃあいかにいま自分が持っている知識や現存する仕組みを使ってその欲求を叶えられるか、考えていかなきゃと思っています。
あと、ドラマティックの意味も説明しなきゃ
なぜ今回のタイトルをドラマティックにしたかというと、私はわりとドラマティックなものに人生救われてきている気がしていて、私にとってその代表格である演劇がリアルで見れないいま、大量に家に積まれている本たちを一冊一冊丁寧に読んでいこうと思ったのです。
早速一冊目、「大奥 第一章(作・浅野裕子)」を読み始めてますがめっちゃドラマティック。。愛憎劇のオムニバスですな。
読み終わったら感想を書きます。
予定を作らないとちょっと駄目になりそうなので。
また書きます。
読んでいただきありがとうございました。 もし、サポートいただけましたら、亀井はホットヨガに通いまくり、仕事をがんばってパフォーマンスの質も向上すると思います。 よろしくお願いいたします。