
私が求めていた先生
先日、病院に行った。そこに理想の先生がいた。
私は高校時代に「甲状腺肥大」と診断されてから、甲状腺治療を受けている。バセドウ病の一歩手前のようなもので、治療といっても服薬だけだけど。
この病気と付き合って、なんだかんだで10年になる。でも、私は自分の病気のことをいまだによく分かっていない。
自分の中で、これが明確な症状というものもない。
だから服薬はしてもしなくても変わらないと思っていた。でも、勝手にやめたらメンタルまで不調になっちゃって、とんでもない思いをしたから今は通院と服薬は欠かさないようにしている。
定期的に血液検査をして、数値を見る。
今、通っている病院は大きなところで、担当医を決めていない私は受診するたびに先生が変わる。
そこの先生たちから「改善傾向にありますよ」と、受診するたびに言われていたけど、いまいちピンとこない。こうやって薬を飲み続けて、通院して、何になるんだと毎回疑問だった。
自分の症状について、なにを、どう伝えたらいいかもわからなくて、ただ先生の話を聞いていた。
仕事や日常生活に大きな影響はないと言われていたから、日々の体調不良はこの病気のせいにはできないしなぁとも思ってた。
そんなこんなで10年が経とうとしている先日、
そこの病院で出会ったのが、私の理想の先生だ。
番号を呼ばれて、
診察室に入るとおばあちゃんがいた。
これまで女性の若い先生が多かったから、ちょっと戸惑った。カルテはデータ化され、パソコンでの操作が必要だ。画面が2つのパソコンを、使いこなせるの?と勝手に心配してしまった。
おばあちゃん、いや、先生はカルテを見ながらひとりでに話し始める。
「数値は下がりすぎなぐらい、薬効いてるね。」
私の過去のデータを確認しながら、
「えぇ、初めは薬出し過ぎで低下症になっちゃったの。かわいそう。」
とか
「どれくらい良くなったのか、私が知りたい。」
とか
ぶつぶつ呟きながら、カルテに目を通す。
必要な情報を抜き出して、器用にパソコン画面に貼り付けるおばあちゃん。いや、先生。
「前回がこれで、今回の結果がこれ。ほらこんなに良くなってる。」
やっと私に視線が向けられ、私も頷く。
「よく効いてるから、薬の量を減らそう。
私が変更するから責任もって入力しなくちゃね。」
またぶつぶついいながら、慎重にパソコンを操作する。あれ、操作が上手くいかないとかなんだとか言いながら、データ送信に手こずるおばあちゃん先生。私はパソコン画面をぼーっと見つめながら座っていた。
しばらくして、まあいっかと諦めたおばあちゃん先生は「これまでよく頑張りました。」と私に言葉をかけて診察を終わりにした。
診察室を出て、不思議な気持ちに包まれた。
もやが薄くなったような、木漏れ日が差し込むような、ぬるくてあったかい感じがした。じんわり目尻も熱くなった。
おばあちゃん先生と私が交わした言葉は少ない。
でも、先生が自分の症状に関心をもってくれていることが伝わった。責任をもって処方してくれている。そんな信頼感も抱いた。
私の経過を知るために一緒にカルテを見てくれたおかげで、今までなんだかよく分からなかった自分の病気のことを少しは理解できた気がした。
そしてなにより、
「私は頑張って治療を続けてきたんだ。
だから今があるんだ。」
そんなふうに、自分のことを自分で認めてあげられたのが嬉しかった。
おばあちゃん先生のあの姿勢、
あの言葉が、私をようやく安心させた。
私も、あの包容力が欲しいなぁと思う。
目の前の人のことを、
「私が知りたい」って気持ちで
知ろうとする先生になりたい。
自分の行動には大きな責任が伴うって
自覚しながら行動できる先生でありたい。
今はまだまだ、だけど。
いつか。私がおばあちゃん先生になるまでには。