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日向と日陰
そういえば、
元旦の朝にみた「にっぽん紀行」がぐっときた。
世界一の高さを誇るスカイツリー。日時計としても世界一の大きさだ。針の影が指し示す先に、陽は当たらずとも懸命に生きる人たちがいた。
印象的だったのは
墨田区の廃校になった校舎に通う人たちの姿。
そこではそれぞれの事情で、学校で学ぶことができなかった人たちのために学習教室が開かれている。
働き手として人生の大半を生きてきた人が、ようやく自分のために学んでいた。
80代のおばあちゃんがひらがなの練習しているのは衝撃だった。
教室でひらがなを学んでいたおばあちゃんは、
一時間以上もかけて教室に通っていた。
ところが高齢になるにつれて、通学が難しくなる。バスを乗り継いで学校へ向かう途中、迷子になってしまうのだ。
もう通えない。
おばあちゃんは教室を止めることにした。
学校を去るおばあちゃんは
「もっと学びたかったけど、年取って迷子になっちゃうもんだから」と、
やるせない笑顔を浮かべてみんなに挨拶していた。
帰り際、たまらず涙が込み上げる。
隣にいた先生が黙っておばあちゃんの肩をさする。すすり泣きながらおばあちゃんは教室を後にした。
おばあちゃんの涙は、どんな涙だったんだろう。
私はそのおばあちゃんの小さな背中を見てると、
思わず悔し涙がこぼれた。
本当はもっと学びたいことがあったんだろうな。
この学ぶ場がなくなったら、
おばあちゃんはどうやって過ごしていくんだろう。
もっともっと、楽しい世界が広がったはずなのに。
すすり泣くおばあちゃんをなんとかしたいけど
自分は隣にいた先生みたいに、ただ見ていることしかできない。じっと背中を見るしかできない。
それが悔しかった。
そうだ、
自分は最後のセーフティーネットになりたい
と考えていたんだった。
ついでにそんなことを私は思い出した。
テレビを見ていたように
ただ見ていることしかできないだろうけど、
それでもその人のそばにいることができればいい。
そのまま落ちてしまわなくて済むようなセーフティネットになりたい。
日陰に暮らす人の姿を見て、そんなことを思った。