清原果耶を観る一本:映画『青春18×2 君へと続く道』レビュー
5月のGW公開で、藤井道人監督の抒情作、客足好調と聞き、気にかけているうちにNetflix8月配信の情報が届き、配信待ちしての鑑賞。社会派監督の抒情味満載作品と言うより、ただただ清原果耶を観るためだけの一本だった。
おそらくこれは評価二分かと思われるのだが、藤井道人監督自身による脚本を、個人的にはいささか難ありと評したい。台湾発の原作があるようだが未読。それゆえ正当でない採点かも知れないが、岩井俊二や井上雄彦にかくまで寄りかかっての展開、そして何より、終盤まで想い人の現況につき観る者に予見の余地を全く与えない語り口、この2点を素直には受け止めることができなかった。
清原果耶演じるバックパッカー、アミと主人公ジミー(シュー・グァンハン)との18年前に遡る切ないまでの恋模様は、建てつけステレオタイプながら誰にとっても胸迫るもの溢れた抒情に満ちている。ただ、ここでの岩井俊二依存は、どうしたものだろう。佳品『Love Letter』へのオーマジュの域にとどまらず、未見では主人公ふたりの心情の本質が理解できない。作品の欠損ともなりうる危うさである。
そして物語はその唐突な中断と、その時の2人の約束が物語の中軸となり、終盤クロスカッティングでその詳細明らかにされる。脚本はそれをこそ本作の眼目としているのであろうが、すぐさま想起したのは、古い文学史的知識である志賀直哉の「仕舞いで背負い投げを食らわすやり方」という芥川龍之介「奉教人の死」批判の一節だった。いまそれについての言及は避けるが、本作の結末からすると、ジミーの日本でのルートに説得力がない。このコースが原作依拠やも知れないが、失意あってのかつての想い人を追慕するに旅路に湘南、長野、新潟は、漫遊で主題にそぐわない。まして湘南はSlam Dunk聖地訪問以外に何の意味があるのか。旅番組じゃあるまいし、との印象で違和感しかない。原作者井上雄彦に対しても非礼である。
ことほどさように難多い内実ではあるが、2時間を超える長尺、清原果耶がデザインされたキャラクターを魅力的に体現し、それを堪能するだけで十分な仕上がりではある。清原果耶の代表作となること間違いない。表題とした所以である。
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