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南木佳士『阿弥陀堂だより」』レビュー

嬬恋村出身の南木佳士旧著を、第100回芥川賞(1989年・昭和64年/平成元年)『ダイヤモンドダスト』以来34年目にして氏の2冊目として通読、読了。この間、氏がパニック症候群で苦しまれたことも、それを乗り越え芸術選奨文部科学大臣賞を『草すべり』で受賞されたことも知ってはいたし、時に目に触れたエッセイをも読んではきた。そしてそれなりの評価と個人的位置付けで南木佳士像を描いていたのだが、本作を手にして読み終えてみると世界観は期待通りで、読みながら自然と和らかく慰撫されていた。
作品は、作家個人の内奥かと思われる二側面が、心の病に見舞われた医師である妻と新人賞を獲ったのみでその後作品が上梓されない語り手でもある夫とに託し分けられ展開する。前半部は青春小説、後半部は語り手である夫の故郷である山間部に移り住み、そこでの出会いと風景の推移とともにある日々が静謐感豊かに描出されている。
作中、阿弥陀堂の堂守である96歳のおうめ婆さんが、これまでの長い人生で切ない話ははいくらも聞いてきたから、いい話だけを聞きたい、金出して本買って、切ない話を読まされるんじゃたまらんと話す場面があり、語り手である「私」は小説のあるべき姿を教えられたと自戒する。そんな一節に読みながら思わず膝を叩いてしまうのは、あるいは年齢のせいなのかなと思わされる。
読書とあわせて、本書刊行後すぐに映画化された小泉堯史監督の同名映画も必見である。小泉監督のタッチに相応しい原作を得て、小説の後半部のみを過不足なく描き切り、既存の愛読者を裏切ることのない原作本の映像化の手本となるような出来栄えである。

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