ぼくが経営者として大切にしていること
今日はぼくがどのようなことを考えて仕事をしているのかをお伝えしたいと思います。経営者として、どのようなことを考えながらマネジメントしているのかーー。
昨日のnoteを読んでもおわかりのように、ぼくは基本的に「楽をしたい」性格です。よって、楽をして結果を出したいと考えているビジネスパーソンや経営者のお役にも立てるのではないかと思っています。
まず、とにかく「信じる」
ぼくの仕事はユーチューバーをサポートすることです。
そして、もうひとつの大切な仕事に「信じる」ということがあります。これが、実はすごく強い力になっています。
ぼくはヒカキンさんから「海外でユーチューバーと呼ばれる人たちが活躍してる」と聞いたときに「すごい!」と素直に思いました。それにユーチューバーたちの動画を観たときに、やっぱり「おもしろい!」と思いました。ユーチューバーの力を瞬時に信じたのです。
ユーチューバーのおもしろさを世の中の多くの人に「おもしろい!」と思ってもらえるように説明していくのはぼくの仕事ですが、その一方で「ユーチューバーが本当におもしろいかどうか」を疑っていても仕方がないと思っているのです。
「ユーチューバーやクリエイターなど個人の力は世の中に届くんだ」と信じること。これがまず第一です。
「でも、そうならなかったらどうするの?」「もしだまされたらどうするの?」と聞かれます。
ぼくは、また信じるのです。とにかく疑ってかからないことです。もちろん失敗をしたら注意点や改善のポイントを探りますが、「だまされた」とは思いません。やっぱりぼくは「信じる」ということを貫きたいと思っているのです。
かつてはぼくも、どこかで「性悪説」だったと思うのです。でも「性善説」で生きたほうがはるかに楽しいことに気づきました。
任せてうまくいかなければ、任せた人の責任
人を信じていると、人に仕事を任せることができます。「人に任せる」というのは言うまでもなく経営者の大切な仕事です。
ぼくの任せ方はこうです。
誰かに仕事を依頼するとき、その仕事の「プロセス」がぼくにはわかります。「いついつまでにこれやっておいて」と言えば、その過程で何をしなければいけないかがわかる。
たとえば、「いついつまでに資料を作っておいて」と言ったとします。それは1人では作れない資料です。すると、彼はAさんに相談して、Aさんから得た情報をもとに作らなければいけないよな、とわかる。
だいたいぼくは仕事の「1と10」しか言いませんが、過程は「ぼくなりの過程」を想定しています。自分がそれをやるとしたら、その過程をちゃんと踏んでいく。ただ、その過程まで指示してしまうと、それ以外の過程をぼくは「悪」だと思ってしまうでしょう。
こうしたnoteの原稿をライターさんにお願いするときもそうです。ぼくは「ライターさんにお願いして、上がってきたものを事前チェックして公開する。これがぼくのやり方だ」と決めるのです。
もし別のライターさんにお願いするとしたら、その人にはきっとまた別のやり方があるでしょう。もしかしたら、ぼくが公開する前に世の中に出すこともあるかもしれない。もしくは「鎌田さんも大変だと思うんで、ちゃんとした1万文字くらいの記事を書きましたが、その他に3日分くらいにわけて書いておいたんで、これも公開予約しておきました」ということもあるかもしれません。
ぼくとしては想定外かもしれません。でも一方で、違う人に任せることによって、また違う道筋で、違う結果が生まれるわけです。これを認めないといけない。任せ方は「1と10」だけをおさえておいて、「2〜9」のプロセスには介入しないことが大切なのです。
これが「性悪説」になっていくと、つねに「あれやった?」「これやった?」「これした?」「大丈夫? ホントに大丈夫?」みたいな感じで、人を疑うとこから入ることになってしまう。これではうまくいきません。
人に任せるときはポイントだけを押さえることです。原稿依頼の場合は「事前にチェックだけしたい」と伝える。あとは発注するぼくの責任です。その人を信じるしかない。ギャラや最低限の段取りなどのポイントは共有しつつ、あとは疑ってはいけない。
うまくいけば、お願いした相手のおかげ。なにかあったら発注したぼくの責任です。問題が起きたら、お願いした相手が悪いのではなくて、それはぼくが悪い。「人を信じる」という方針でやっているし、ぼくにはできないことをお願いしてやってもらうのだから、それはもうあとは「いい作品が来る」ということを信じるしかない。だから、修正もほとんどしないのです。
よく野球やサッカーの監督が「勝ったのは選手のおかげです!」と言い、一方で負けたときは「監督である私のせいです」と言いますが、ぼくもこれくらいじゃないとダメだと思っています。
プロセスはマネジメントするな
人に仕事を任せるときは、プロセスまでマネジメントしません。それは、してはいけない。
こういう話があります。
AさんとBさんという車の営業マンがいました。Aさんは毎日15時間働きました。Bさんは1時間しか働きませんでした。8時間勤務なのにBさんは何をしてたのか。彼はキャバクラに通ったり、昼から風俗に行ったりしていました。でも、月の販売台数の成績はAさんが20台、Bさんは50台でした。このとき僕は、Bさんのやり方が正しかったと思うのです。
もちろん過程として風俗に行くことが正しかったどうかはおいておいて……ただ、15時間も働かなくても1時間で成果が出るのであれば、やはりこれは過程としても正しかったと言えるでしょう。
よく「過程を評価してほしい」という人がいます。「こんなにやったんだから、もっと評価して欲しい」と。でも、「過程」は「結果」からしか評価できないのです。ノルマに未達だったけれど過程を評価してほしい。それは通らない。もし勤務時間をオーバーしていれば、ただの「残業」です。
人間は「自分なら失敗しない」と思いがち
マネジメントで「失敗したな」という経験はあまりないですが、いま思い返してみると「自分でやりすぎていたな」とは思います。もっと任せればよかった。
どうしても人間「自分がやったら失敗しない」という思い込みがあるのです。事実、自分でやったからこそ失敗はしていないと思うのですが「もっと違う時間に使えたんだろうな」とか「もっと早く人に仕事を渡してもよかったな」という反省はあります。「俺じゃなきゃダメだ」と思うのではなくて、意外と他人に渡していてもすんなりうまくいくことは多いものです。
もちろん自分は経験も長いし、社長という立場でもあります。ぼくの力と比べると一般のスタッフの力は何分の1かになるかもしれない。ただ、そのスタッフの力を過小評価していた面があったのではないか。きちんとスタッフの力を見極めることができていなかったのではないか。
「自分がやったほうがうまくいく」というのは、ほとんどの人が思うことでしょう。特に優秀な人だったり、結果を出してきた人であればなおさらです。
しかし人間というのは、基本的には「頑張りたい生き物」だと思うのです。なにか仕事を与えられたら、それに対して「頑張りたい」「期待に応えたい」と思うはずなのです。
だから、仕事を「渡す/渡さない」の前に「こいつに渡しても失敗するかも」といった「性悪説」的な考え方はなるべく排除していきたい。そうじゃないと、いつまで経っても、会社の売上げが上がっていっても、ずっと自分でやることになってしまう。ぼくも昔に戻れるのであれば、もっと早く、自分のやっていた業務を人に渡す選択はできただろうなと思います。
ただぼくは、つねにまわりの人にあらゆることを話してきました。考えや思いをできるかぎり共有してきました。それはよかったことです。
今でこそ、ちゃんと会社のピラミッドがありますが、昔はすごくフラットだったので、どんな案件でもみんなで共有していました。社員が50人くらいのときまでは「行くぞ!」って言うと、全員でバッと動くことができていました。
評価はあとからついてくる
マネジメントで難しいのが「評価」の問題です。
たとえばこんなことがあります。「今月ものすごく頑張って、成績もよかった」と言う社員がいます。「だから給料を上げて欲しい」と言われたとします。
そのとき、ぼくはどう評価するのか?
ぼくはその「頑張った」とか「成績がよかった」ときにもらえるものは「残業代」と「インセンティブ」であると考えます。「評価」とか「月額の給与」というものは、あとからついてくるものです。
評価はあとからついてくるので、本人からすると「え、なんでこのタイミングで給料が上がるんですか?」「今、昇進していいんですか? 特に手柄をあげたわけじゃないですけど……」と思うかもしれません。でも、タイムラグはどうしてもあるものです。
これはぼくがめちゃくちゃよく言うことです。
評価はあとからついてくる。努力したり、成績がよかったり、大きな手柄をあげたときに得られるものは「残業代」と「インセンティブ」。短期的なもの。人間として評価されたかどうかは、中長期的な考え方になるので、絶対にあとからついてくるものなのです。
ここでの「評価」は、具体的に「課長になる」などの昇進もありますし、「月額のベースの給与が上がっていく」ということもあります。逆に言うと、ベースというものは、あんまり下がらないはずです。それは人間として身に付けてきたスキルに対する評価なので、突然そのスキルを忘れたりするようなことがない限りは下がらない。逆も真なりで、短期的に上がりにくいものでもある。
経営者としては、その「短期的なもの」と「中長期的なもの」をきちんと把握して、うまく人事制度に組み合わせていくことが大切です。
また、ぼくが評価するのは「言われたことプラスアルファをやる人」です。そもそも言われたことすらできない人は論外。言われたことをやらずに違うことで結果を出してもダメ。つねに100点に対して120点を出し続ける。そういう人が理想です。
ホームランは打とうとしなくていい。まずは100点を目指して欲しい。そしてさらに「プラスアルファ」で10点20点上乗せしてくれるような人が最高です。
あなたの給料はどうやったら上がるのか?
社員によくこんな話もします。
「どうやって頑張れば、給料上がると思う?」と。
よく会社の社員と一緒に飯を食っていると、いろんなことを言ってきます。「もっと会社をこうしたいです」とか「こういう仕組みのほうがいいと思います」とかいろんなことを言ってくるのですが、ぼくは「ふーん」と言ってこう返すのです。「○○さん、どうやったら自分の給料あがるの?」。答えられない人は、結構多いのです。どうやったら給料が上がるか。シンプルな問いですが、多くの人が答えられない。
そういう人は「会社の中で誰が何を握っているのか」が明確にわかっていません。ぼくの前でものすごくいいことを言ったとしても、ぼくは彼の給料を上げられないんです。直属の上司じゃないからです。お互いの目標も知らない。
ここがズレている人が世の中めちゃくちゃ多いのです。だから、どうやったら給料が上がるかも把握できてない、わかっていないのです。
組織のピラミッドがあったとして、下から「一般社員」「課長」「部長」「役員」「社長」となっています。この位置関係は決まっている。そのときに、飲み会があって「社長」と「一般社員」が会話をしたとしても、絶対に一般社員の給料を上げることはできないんです。
たとえば一般社員は、直属の課長に対して「月100台コピー機を売ることを約束してました」と。課長は部長とのあいだで「きみの課は社員が10人いるから、じゃあ1000台売りなさい」という約束をしていた。そういうぐあいにピラミッドの上まで積み上がっている。よって組織の中では「自分がいちばん評価されるべき人」と「その人と約束した目標」をきちんと認識しておかなければいけないのです。
ちなみにぼくを評価する人はシンプルです。ぼくは「社会」とか「市場」とか「株主」とかに評価されるように動けばいいのです。
飲み会などでの「1段飛ばし」のコミュニケーションはよく見かけます。「一般社員と役員」とか「課長と社長」とか。飲み会などでそうやって気持ちよく話をしたとしても、まったく意味がないのです。少なくとも給料が上がるようなことはありません。
最近、「360度評価」というものもありますが、ぼくはこれも受け入れられません。
組織をこんなふうにイメージしてください。地面があって、階段があって、そのうえにまた地面が続いている。一般の人が見ている景色は、下の地面からの景色です。でも、部長や役員が見ている景色は上の地面からの景色。つまり見ている景色がぜんぜん違うのです。
社長と課長が見ている景色も違うし、社長と役員も微妙に違う。それを下の地面から「評価」されても困るのです。だって、上の地面の先には「崖」があるかもしれないからです。これを360度で下からも評価されるのは、難しいのです。
社長がやるべきことは5つだけ
最近、いよいよ社長業って忙しいんだなと思いはじめています。
ちょうど先日も決算発表説明会が終わったところです。説明会は「点」でしかないのですが、そのために考えることはたくさんあります。
そこで今年の6月からぼくは「CEO」になって、「COO」を新たにつくりました。そこで仕事の遂行をある程度任せるようにしたのです。そこでもやっぱり「信じる」しかありません。「信じる」という姿勢は本当に大切なのです。
まわりを信じて、どんどん任せる。そうしていくと社長の仕事は限られてきます。
ぼくが考える「社長の仕事」はこの5つです。(この5つは毎週打ち合わせをしている社外取締役の方と会話している中で教えていただいたことです。自分の中でも納得したんで、そのまま使わせてもらっています。)
1 経営戦略や経営理念を決めること
2 目標設定
3 組織策定
4 ステークホルダーの対応
5 有事の際の緊急出動
これだけなんです。5つ。
これにはどこにも「プレイヤー」要素はありません。具体的には「年間の目標を立てる」「会社としての経営戦略を立てる」「あとは組織を固める」……基本的にはそういう全体的なことです。「この配置だったら攻めやすい」など、武将のように戦略を考える。そこに95%の時間を費やす。それが経営者の仕事だと思っています。
UUUMの経営理念は「セカイにコドモゴコロを」というものです。忘れがちな「コドモゴコロ」を人々にもたらしたい。経営戦略は「もっとアソビナカマを」と言っています。スタッフ、クリエイター、ユーザー、クライアント、みんな全員「遊び仲間」です。この遊び仲間を増やしていこう、というのが経営戦略として掲げている言葉です。
結局、ぼくのやっていることは「ゲーム」の事業であっても好きだからやっているわけです。仕事は趣味であり、遊びです。もちろん責任感がないわけではないですが、「コドモゴコロ」を忘れずに「アソビナカマ」を増やしていくことができれば、結果的に儲かるでしょうし、おもしろいこともできるはず。
そう信じているのです。
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