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100日哲学チャレンジ☆3日目
こんばんは。カマイタチ兄です。さて、前回のフリからすると、僕の社会活動の話をする予定でしたが、3回目にしてイキナリちょっと脱線。
僕の趣味の一つ、創作活動について、哲学と絡めて話したくなりましたwと言う訳で始めます。
さて、僕が哲学の本を読み始めた理由は、2つです。
1つ目。言葉が「マジでイケてる。中二病じゃん!」と思ったから。
哲学の本って、読んでいると名言ぽいのがたくさん出てきます。ネットでは、その名言ばっかり並べたサイトとかもありますね。でも、やっぱり名言は抜粋されたところだけじゃなくて、本を頭から読んでいって「ああ、こいつかあ」と探し出す方が好きです。
なぜかと言いますと。例えば、大学1年生の頃に読破した、新潮文庫の「方法序説」。僕は「我思う故に我あり」について、其処に行きつくまでの思考のプロセスを読むと、凄く内容が理解できました。
デカルトが兵士になって各国を渡り歩く理由として、「世界という書物に学びたい」と書いてあったところも好きです。彼は博学で、大学のあらゆる本を読んでいましたが、本から得られる知識に満足せず、「真理とは何か」を見極めるために旅に出ました。
また、僕は「方法序説」を一通り読んだ後に、大学で授業を受けたのですが、デカルトがキリスト教世界に生きていたことや、三十年戦争等の歴史的背景があって、「方法序説」が生まれたことを知りました。本や芸術作品は、当時の歴史的背景や作者の経験に思いを巡らすことで、ただ覚えただけの知識ではなく、生きていく上での知恵になっていくのだとその時学びました。
また、「方法序説」の分析については他の回にまわすとして。
理由の2つ目。哲学や小説の本、映画が、沢山家にあったこと。
僕は小さい頃から、土日になれば美術館に出かけたり、カフェでアフタヌーンティーをしたり。決して当時家計は豊かではなかった筈ですが、母の趣味は一貫して西欧貴族風でした。手の届く範囲に、アガサクリスティー、コナンドイル、江戸川乱歩、横溝正史、無頼派、芸術至上主義、西洋、日本の文豪の名著、特にミステリーが置いてあったこと。父はロックンロールが好きで、僕は小学生の頃から、レッドツェッペリン、ビートルス、クイーン、ZZトップ、ボンジョヴィ、デビットボウイ…様々な年代のロックを、カセットテープやCDで聞いていました。
なんかそうやって考えると、環境の影響って大きいなって思います。
カマイタチ開発の「逃げろ」シリーズも、あの説明無しのめちゃくちゃなノリは、小さい頃から見ていたテレビの影響が強いです。例えば、
ドラマ系:
「タケチャンマン」「レッドドワーフ号」「空飛ぶモンティパイソン」
カートゥーンネットワークで見ていた海外アニメ:
「宇宙忍者ゴームズ」「臆病なカーレッジ君」「カウアンドチキン」「パワーパフガールズ」等
シナリオの筋や人間関係よりも、瞬間瞬間の面白さや、制作者のやりたかったことを優先させるノリです(アルフレッド=ヒッチコックが、一番キライなやつ)。
でも、ノリの良さって、計算された上でやらないと、見ている人にその良さが伝わらないので、やっぱりストーリーや画面の見せ方には、技術や工夫が必要だなと最近よく思います。作品を見ているだけだと、「おれにもできそう。作りてえ」って思えて、ワクワクするんですけどね。
そう、小説も、ゲームも、アニメも。見れば見るほど、自分で作ってみたくなっちゃうんですよね。特に、自分的に面白いなと思った作品を見た後には、「ここをこうしたら、どうかな」「主人公が、もしこの場面でこうしていたら…」「物語はこの後、こうなったらハッピーエンドだろうなあ」ってぐるぐる考えてしまって。夜も眠れなくなるくらいです。
ということで、100日間チャレンジですが、たまに言いたい放題な回があってもいいなあと思います。では、また明日☆