100才の食事
先日、スッキリというテレビ番組で、帰省中に親と介護の話をしてみようという企画が放映されていた。
その中で、テーマについて語っていた方の運営ブログを見ていると、壮絶な体験談が載っていた。
思わず一気読みしてしまった。
結局、介護する側の事情も、介護される側の事情も千差万別なので、それぞれに合った方法を見出すしかない。しかも、介護される側の状況は、日々変わっていくし。介護する側の事情も変わる。状況に応じて、それぞれの家庭に合ったやり方を模索していくしかない、と改めて思った体験談だった。
その方ほど過酷ではない、自分の家の状況を振り返ってみると。
100才の祖母が自宅にいるが、食事一つとっても日々食べられるものが変わっていく。
ちょっと前まではこの大きさのものが食べられていたのに。
ちょっと前まではこの量で大丈夫だったのに。
残しているものの状況を見つつ、量を調整したり、細かく刻んだり。
かんぴょう巻きの夢を見たから、起きたとたんにかんぴょう巻きが食べたい!というけれど、実際にかんぴょう入りの巻物を出すと、かんぴょう食べてない。。。
かたいおせんべいが食べたいというけれど、かたいおせんべいなんか食べられない。たぶん、昔のせんべいのイメージだと草加せんべいのような、しょうゆ味が辛いかたいせんべいを思い出しているのだと思う。でもやわらかめの塩せんべいを出すと、これはせんべいではないという感じで不服そうな顔をする。そうはいっても、結局、食べてるけど!
うずらの卵入り肉団子の、その白身部分だけ器用に残したりするし。
わたしは子供のころ嫌いなものをちまちまお皿の隅に出していたけれど、ホントに同じ状況。
かぼちゃの煮物については皮、しいたけ、たけのこ、にんじんなど、かたいものはすべて残される。
結局最近では、よほど柔らかいものでない限り、ほぼすべてがみじん切りの食事になってしまった。
特に、巻物の中身をみじん切りにして詰めなおすと、ご飯粒含めてすべてがつぶつぶ。
そんな細かくなった食材を祖母はちまちま食べている。
介護は人と比べるものではないけれど、まだまだそんなに衰えていないと思えることも、日々のこまかい作業を継続する力になっていると個人的には思う。
なんせ今後どう変化していくのかなんてわからないから。
日々、祖母の状態を観察して、変化してきたら変化に対応していこう、ぐらいの心持ちでやっていくのがよいのかな。
まあ、わたしがやっているのは、通り道になっている祖母の部屋を通る時に、なにやっているかを一応確認して、こんなことしてるよ! これ残してるよ! なんてことを親に報告しているだけだけど。