風呂場に見る、生活のアレコレ。
今日は朝から、知り合いの畑に、
雑草取りと、芋の種を植える作業に行った。
湿度が上がり虫も増え、かく汗の量も増え、
何故か、履いているスニーカーにつく、土の量も増えた。
家に帰り、泥だらけになったスニーカーを、
もう捨てようかと眺めていたら、
ふと、小学生の頃を思い出した。
学校で使った上履きを金曜日に持って帰り、母に渡すと、翌朝には、お風呂場に、水を入れたバケツの中に、放り込んである。
知らんぷりして風呂場から出て行こうとすると、「自分で上靴洗いなさいよ!!」という母の声が、リビングから風呂場まで飛んで来る。
仕方なく、たわしに洗剤をつけ、黒くなった所をゴシゴシ洗い、終わったら水をポタポタさせながらベランダに持って行って、乾かす。
上履きだけでなく、外靴も風呂場で洗った。
流石に毎週ではなかったけれど、
丁度今日みたいに泥んこになった日の週末は、
上履きと一緒にゴシゴシ洗って、ベランダに干した。
思えば大人になってから、靴をお風呂場で洗わなくなった。
1人暮らしを始めてから、家のお風呂場で靴を洗ったことは、1度もない。
水に濡らして洗わないような靴が増えたせいか、スニーカーまでも、汚れたら、ごみ袋に手が伸びてしまった。
靴は洗っていないけれど、最近になって、
風呂場で洗うようになったものがある。
生理用の布ナプキンだ。
子宮の事を考えると、石油系の原材料で作られた使い捨てナプキンを利用するのはもってのほか、洗うのが面倒でも、オーガニックコットンの布ナプキンを使うべきだと聞いて、
安くはない料金に目をつむって、布ナプキンを購入した。
元々、幼少期の股関節脱臼の事もあり、骨盤周りに不安のあった私は、
「将来、健康な子供を産むためだ。」と思い、
外出時間が長い日中はオーガニックの使い捨てナプキン、それ以外は出来るだけ、オーガニックの布ナプキンを利用した。
布ナプキンは、洗えば繰り返し使える。
だけど、洗うのに、少しの労力を要する。
使用済みの布ナプキンを、風呂場に持って行って、経血を洗い流す。
朝、寝ぼけた顔で、髪はボサボサ、
服装はパジャマのまま、何なら暑い時期はほぼ下着のまま、風呂場で、ただただ、シャワーで血を流す。
経血の量が多い2.3日目は、狭い洗い場に、
赤くなった水が広がっていくのを、ただただ眺める。
ある程度洗い終わったところで、今度は、
バケツに漂白剤を入れてお湯に溶かし、
ナプキンをつけておく。
しばらく置いた後で、洗濯機で洗う。
シャワーで自分の血を眺めながら、
傍から見た私はきっと滑稽だろうと、
いつも感じる。
美しくもかっこよくもないその姿。
だけど昔は、こうして丁寧に生活していたのだ。
お風呂の水や米のとぎ汁を、お洗濯に使う。
お洋服は、綻びた所を補正し、また使う。
生ごみや糞尿は、畑の肥やしにする。
代々受け継がれてきた生活の知恵を使いながら、
面倒だけれど、日々を懸命に生きてきた。
昔ながらの生活には、派手さはなくとも、
「生きている実感」と「人間の温もり」が傍にあったのだ。
今は、何でも楽できるようになった。
何でも手を抜けるようになった。
それ自体は、悪い事だと思わない。
でも、豊かな生活に慣れた事で、
"物がある事が当たり前"になってしまった。
スーパーに行けば、食べ物が溢れている。
ショッピングモールに行けば、安くて可愛い洋服が沢山並んでいる。
薬局に行けば、一生分では有り余るほど、化粧品が並んでいる。
不思議なもので、そんな生活に慣れると、
昔からずっと、こんな社会だったんじゃないかと、錯覚してしまう時がある。
現代を生きる私たちは、時々思い出さなければいけないのだ。
人類の歴史の中で、物に溢れている時代の方が、圧倒的に短いという事を。
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