樺山 聡「京都・六曜社三代記 喫茶の一族」
「六曜社を守りたい。店を継ぎたいと思ってる」
「……いらない」
樺山 聡著,喫茶の一族 : 京都・六曜社三代記, 京阪神エルマガジン社, 2020.9.
概要
京都の老舗喫茶店、六曜社の歴史
ポイント
家族経営の老舗喫茶店70年間のファミリーヒストリー。大河小説のような読み味。
終戦直後の満州でのボーイミーツガールから京都で店を開くまでが朝ドラのよう。
京都のサブカルや音楽シーンと喫茶店との繋がりが興味深く、二代目の修さんがかっこいい。
三代目の苦悩が泣ける。終盤はほぼ渡鬼。他店の跡継ぎを大事に育てる前田珈琲の男気に惚れる。
内容について
京都が好きでたびたび通っていた頃、六曜社は近寄りがたい店でした。間口が狭く古めかしく、意を決して階段を降りてみてもガイドブックによく載っている地下はいつも満席で、1階では常連らしいご年配の方が煙草をふかす様子に怖気づきました。当時の私にはまだ早かったようです。
古めかしい店は本当に古い店でした。六曜社の創業は1950年。その2年前に、創業者の奥野實さんと八重子さんは満州で出会います。
この本がすごくいいのは、時代と人を描く姿勢です。煽る気になればいくらでも煽れる強いエピソードがたくさんあるのに、静かな語り口です。満州での暮らしや引き揚げの辛さは淡々と描かれています。日本人であるだけで差別され、帰国の途上で乳飲み子がばたばたと餓死する悲惨な描写は控えめで、だからこそ記憶に残ります。實さんの落ち着いた様子が頼もしく、後に妻になる八重子さんの気持ちを追体験するようです。
二代目の主役は三男の修さん。文化人や大学生のたまり場になっていた六曜社に出入りして育ち、音楽や社会問題に目覚めて家を飛び出し、仲間と店を始め、また六曜社に帰ってきます。六曜社で自家焙煎を始めたのも修さんです。自由人らしいキラキラの青春です。
創業者の實さんは1階を次男のハジメさん、地下のバータイムを長男の隆さん、昼間の喫茶営業を三男の修さんに託します。経営は實さんが一手に握っていました。八重子さんはママとして1階でコーヒーを淹れ、経理も担当しています。この複雑な体制に悩んだのが三代目の薫平さん、修さんの息子さんです。
他社での修業を経て独立していた薫平さんは、自分の店を畳んで六曜社に入りました。實さんの死から数年が経ち、家族経営のどんぶり勘定で会社は火の車でした。当然経営改革が必要ですが、ベテランを動かすのは大変です。しかも相手は父と伯父と祖母です。社長を務めた経験がある伯父以外は、経営に理解がありません。
それからどうなったかは本をお読みいただくとして、六曜社は今も健在です。家族から経営を学ぶ機会がなかった薫平さんを育てたのは、京都の老舗喫茶店のひとつ、前田珈琲でした。いかにも純喫茶らしいメニューや古い建築を生かした雰囲気のある店作りで、普段使いにも観光客にも人気の店です。たまたまアルバイトに応募してきた薫平さんを「いずれ家業に入るだろう」と創業者のもとに配属し、やがて社員に登用しました。おしゃれな店でアルバイトをしたかっただけなのに面接一回で素性がばれて、まだ継ぐとも決めていないうちから修行が始まる薫平さんが少し不憫ではありますが、それだけ望まれる場があることは幸せなのかもしれません。