「撮る理由」は必要ですか?
お世話になっております。
写真事務所プリズムライン・専従者のmoeです。
2020年がもうすぐ終わろうとしています。
今年はほとんど何をして過ごしたのか記憶が薄い。。。
こんなにも記憶の薄い1年間は生まれて初めてです。
来年はもっと自由にたくさん広い空を撮ったり、喧騒の中で心ゆくままにお酒を友人と飲むような、そんな何でもない、自由で贅沢な時間が一日も早く戻ってくることを祈ります。
今回はふと思ったことを。
普段写真を続けて撮っている上で、色々な人の意見を耳にしたり、それを自分で考える時間があるのですが、プライベートな作品を人に見せたときに「どうしてこれを撮ろうと思ったの?」と問われることは多いです。
特にそれを聞かれることが多かったのは学生の時やアシスタント時代でした。
「何でこの一枚を撮ろうと思ったのか?」
に対する答えは「綺麗だと思ったから。」「良いと思ったから。」
ただそれだけです。
でもそれじゃ駄目だと言われることが多かったです。
なぜでしょう。
ちゃんとこの一枚を撮った理由・カメラを向けた理由を説明しなければ、良い写真を撮ったと評価されないことがその時は多くありました。
ちゃんと理由を説明しようとすればするほど上手く言えなくなってしまって、「だったらもっとこういう撮影方法で撮った方が表現できるんじゃない」など言われて、自分の中でも消化できずにいました。
その時は「ちゃんと理由を探して撮らないと駄目なんだな」と自分を責めました。。。(経験が浅く)
でも今は、「綺麗だと思ったから・良いと思ったから・今しかないと思ったから」でいいと思います。というかそれが全てだと思います。
その「今しかないと思ったから撮った写真」が1年・2年・3年積み重なっていくことによって、初めて私だけの視点が可視化されると感じています。
何年も綺麗だと思った瞬間を、思いのままに撮り続けていると、自分はこういう瞬間に写真を撮ることが好きなんだなってことに気がつきます。
そうして自ずと撮る理由がついてくると思います。
iPhoneのカメラロールを見ていてもそう思います。
その人の特色がでる時期が必ずあると思います。
だから、たった一枚の写真を何で撮ったかの理由は説明できません。
説明できない自分に苦しんだ時期があったことを今は思い出して、ふとこんなことを考えました。
ただ撮り続けることはやめない。続けることが大切だなと本当に感じます。
まだまだ私も撮りたい写真を撮っている途中です。
その写真たちがはっきりとした理由に変わるまであと何年かかるかは分からないけれど、とにかく自分が「良い」と思った瞬間を逃さず写真に残したいとは思います。
そうしたらあとはそれを編集する段階(写真をまとめたいと思った段階)で、自分が落ち着くところに写真を落とし込んであげられたらと思います。
でも、もちろんこれは私が自分にとって心地よい方法なので、
編集ありきで一枚ずつ写真を撮っていく方法もあると思います。
今日はこんなことをグツグツと考えていました。
少し寒さで縮こまった体を動かさなければ。。。
それでは今回はこの辺りで。
次回も引き続きよろしくお願いいたします!
写真事務所プリズムライン
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