【声日記あり】私から人が離れていくとき感じること
ヘッダーは今日デパートで買った苺大福です(大好物)
人が離れていくのを何度か感じた最近
ここ最近「あ、人が離れたな」って感じるタイミングがいくつかありました。
1回目誘われたイベントに、私以外の同じメンバーで2回目いっていて私だけ声をかけられなかったり。
たくさんの人たちで撮ったモデルさんの写真、私のデータだけUPされなかったり。
リアクションしようと思って忙しくて忘れてたLINEが送信取消されてたり。
どれも、別に私は次の誘いを断ったわけではないし喧嘩したり嫌な態度をとって別れたわけじゃありません。
そのタイミングで共通することはなんだろって考えてました。
最初は私が相手から評価を得られなかったからかなって思った
「私が相手からの評価を下げてしまった」
「私が何か悪いことをしてしまった」
「私が相手を楽しませる事ができなかった」
「私が相手の顔色を伺いすぎて嫌われてしまった」
そう思ってました。
また失敗したなと。
また相手のことを満足させられなかった。
役に立てなかった。
私がその空間にいるメリットがないから見捨てられたんだなと。
だけどよくよく考えてみると。
もしかしたら逆かもしれない
もしかしたら、逆に相手が
「私からの評価を得られなかった」
「私に悪いことをしてしまったかも」
「私から嫌われてしまったかも」
と思われて離れていったのではないかなと。
自己肯定感が低すぎて、見捨てられ不安の視点しかなかった
自己肯定感が低すぎて、いままで人から舐められたりないがしろにされすぎて、
私は常に人より下の底辺だ
私は常に見捨てられる側の人間だ
私は常に上の立場の者から
捨てるか捨てないかの査定をされる側でしかない
無意識にそう刷り込まれてだんだろうなって。
私からどう思われるかなんて、
気にする人いないだろって思ってました。
でももしかしたら相手からしたら私のこと、
私が思うより立派に見えてるのかな。
自分が人に対して常に顔色を伺ってしまうように、
相手も私の顔色を伺ってるのかな。
安心させてあげるようなアクションがあった方が良かったのかな。
思ってる以上に人は繊細なのかもしれない
こんなにも人の顔色を気にするのは、こんなにも人から嫌われるのが怖いのは私だけだと思ってました。
他の社交的な人は、
他の楽しそうに生きてる人は人のことなんか気にしないだろって思ってました。
人からどう思われるかなんて気にしない、自分軸で生きているから楽しそうに見えるんだって。
でももしかしたら私が思うより人は繊細なのかも。少なからず相手の顔色を気にしながら生きてるんじゃないかなって。
私だけが気にしいで、他の人はそうじゃないんじゃなくて、
私が度がすぎた気にしいで、他の人はちょっと気にしい、くらいのレベルなのかな。
顔色を伺って愛想をよくすることと、相手を安心させることは全く別のことだ
今までの私は見捨てられ不安から逃れるために頑張りすぎていました。
無理やり相手に笑顔を差し出していました。
コンビニで買った大好きなとろろそばがクラスメイトに6割くらい横取りされても、見捨てられるのが怖いからヘラヘラ笑って許してました。
見捨てられたくないから笑ってるだとか、相手からしたらわからないでしょうね。
きっと本当に楽しくて笑ってるんだと思ってたとおもいます。
相手からしたらわからないんです。
だから無理やり笑うことをやめた結果、
相手は不安になっている。
私が嫌いだから離れていくんじゃなくて、自分が不安になるから離れていくんだ。
そうなると、人に対して微笑みかける理由が全く変わってきますよね。
自分を守るためじゃなくて、相手を安心させるため。
自分が誰かの居場所になるために優しくしよう、って思うと、そんなに頑張らなくてもいいような気がするんです。
ただ、相手の課題でもある
もし私の顔色を伺って離れていったとしたらそれは相手側にも課題がありますよね。
私にももっと受け入れる態度や自分を開示する努力があってもよかったのかもしれないけど、
私に勝手に嫌われたと思ってしまう相手にも課題は半分あるよね。
昔みたいに相手のために頑張りすぎないようにしないとなって。
相手にも課題があるよねって冷静に思っとかないとなって。
そんな簡単には人のこと嫌いにならないよ
結局どうしたらいいのかわからないけど、
ひとつ言うと私はそう簡単に人を嫌いにはなりません。
体力が減ると休むために1人になろうとするだけで、
そうそうよっぽど、親の仇とかでもなければ人を嫌いになることはないと思います。
初めての職場のトップからのパワハラみたいな扱いも、今のトップからのモラハラみたいな扱いも、
私にとっては辛くて苦しいものでした。
だけど嫌いとは違うんですよね。
悪いところばかりじゃないし、謎の温情でなぜか優しい時もあるし。
悪口言い始めるとどんどんその人のことが嫌いって感情が倍増して、感情に呑まれる人っていると思うんです。
っていうか、多くの人は心理的にそういうふうになりやすいんじゃないかな、しらんけど…
ただ私はその辺は全く分けて考える力は持ってると思う。
この人のここは自分には合わないなって思うだけで、「嫌い」って漠然とした負の感情とは混同しないというか。
愛情深くて臆病な人間なんです。ほんとうは。
去るかどうかの判断を常に相手に委ねているだけなのです。
愛着障害だからこそ見捨てられる不安じゃなくて、見捨てない安心感を「与える」側になれたらいいなとは思った
見捨てられることの怖さとか不安をいつもいつも感じているACの自分だからこそ、
その不安を取り除く安心感を与えられる側になっていけたらいいなと思いました。
好かれようとするんじゃない。
繋ぎ止めようとするんじゃない。
あなたに敵意はありませんよと。
あなたを承認していますよと。
そうやって伝えられる人間になれたらいいなって、そんな気づきがあった日でした。
ふう。疲れた。
今回はこの辺で。
P.S.
過去の純粋だった頃の自分は誰にでも受け入れ体制だったから、
それはそれで好かれすぎて困ってたなって思い出したなあ。
入ってほしくない距離まで近づいて来られたり、男の人からは執拗に飲みや車で送るよとか誘われたり、
友達だと思ってた人からマルチや保険の勧誘、エステの勧誘受けたりとかしてたからなあ。
「嫌いじゃないけど帰る」
「誘ってくれるのは嬉しいけど断る」
もっと上手く立ち回れるようになりたいな。