「約束を守れない」はアダルトチルドレンによって起こるのではないか
○約束を守れない人 言葉と行動が一致しない人っていますよね。
「時間を守れない」
「マナーを守れない」
「口だけで行動しない」
「言ってることとやってることが違う」
そんな人っていますよね。
何なんだこいつって思うでしょうね。
信用できないなって思うでしょうね。
なめてんのかって、
人を馬鹿にしてんのかって思うでしょう。
ところがね、
当人は全くそんなこと思ってなくて。
自分のことに必死なんです。
○私がそうです。今も苦しんでます。
「また連絡する」って言って連絡しなかったり、
「今日終わったら行くね」って言って行かなかったり、
「あんなことしたい」って言いながらいつまでもやらなかったり。
最低かもしれないけど、本当に悪気はなくて、
どうしてもその時になると動けないんです。
○自分を病気かなと思った。
何をしてもしんどくて楽しくなくて、
人のために「こんなことをしてあげたい」と思っても実行に移せなくて、
そのうち人からは幻滅されて、
人と長く関係を築けなくて、
ずっと苦しんでいました。
何か病名でもあれば気が楽なのに。
どうすれば約束を守れるようになるんだろう。
ずっと悩んで苦しんできました。
そのうちに一つ気づいたことがあります。
私の中の「イド」と「スーパーエゴ」が大喧嘩して、エゴが疲れて逃げちゃってるのかなって。
「イド」と「スーパーエゴ」と「エゴ」
人の心の中には、この3人が共存していると思っています。
↑これを私なりにわかりやすく解釈したものがこちら。間違ってたらすみません。
本気を出したら「イド」の力が圧倒的に強くて、簡単に「スーパーエゴ」を跳ね除けてしまう。
人の行動の90%は「無意識」
「意思」の力なんて本当に脆くて弱いのです。
○深く掘り下げて考えてみると
「言動(行動)」に「感情」が追いついてないことが原因だとわかった
「こうしなきゃ」「こうした方がいい」(スーパーエゴ)
のはわかってるけど
「ほんとはこうしたい」「ほんとはしたくない」(イド)
けどそれは言えないから
「こうしようと思います」と思ってもないことを言ってしまう(スーパーエゴ+エゴ)
こうして発言した言葉には、
行動がついてこない。
そして出てはいけないところで、
無視されていた本心が顔を出してしまうから言葉と行動の不一致が起こるんだ。
○アダルトチルドレン私の幼少期はこの「不一致」がデフォルトだった
●クリスマスプレゼントに好きなゲームを買ってもらった時。
「貧乏だからみんなでプレイできるマリオパーティとか選ぶ方がいいんだろうな、兄弟も欲しいって言ってたし」(スーパーエゴ)
でも、本当は…
「1人プレイの牧場物語が欲しい」(イド)
けどそうは言えないから、
「マリオパーティが欲しい」と言ってしまう(不一致)
大してほしくなかったゲームを「おもしろい」「買ってくれて良かった」と言っていつも笑顔が引き攣っていた。
●エレクトーンの教室に通っていた頃
「エレクトーンが弾けて、1人オーケストラができたら親が褒めてくれるんだろうな」(スーパーエゴ)
でも、本当は…
「ピアノの音色が好きで、ピアノが習いたかった。兄はピアノを習わせてくれているのになぜ自分の希望は聞かれずエレクトーンなんだろう」(イド)
けど親はピアノよりエレクトーンのほうがかっこいいから!エレクトーンやろう!と言ってくる。
そうした方が親が喜ぶなら、と自分の本心を隠したまま
「じゃあエレクトーンやる」(スーパーエゴ+エゴ)
と言ってしまう。
練習はきっと楽しいはずなのに心がついてきてないせいで全然身が入らず引き摺られるように教室に行くばかり。
本心は無視するものだと思っていた。
そうしたら親は褒めてくれるし、みんな喜ぶし、それが普通だと思っていた。
私のの本心はただのワガママだ。
出さない方が良い。
みんなが嬉しいことをする方が良いに決まってる。
精一杯みんなのためを思って行動していた。
でもその結果どうなったか。
「やりたくないことばかりやって嫌になって、なにも積み重ねることができなかった自分」
「がっかりされることを極度に恐れて相手に合わせ、主体性を失った自分」
「本当の気持ちを無視して「立派な口約束」を口にするのだけは得意になった癖」
「言ったことを守れない、他人から不誠実に映る自分」
残酷だけど、「イド」が暴れても許されるのは子供の頃だけなんだ。
多くの人は子どもの頃に「イド」を真っ先に主張する。
そして周りの大人から叱られたり宥められることで「スーパーエゴ」と仲良くする方法を教わり、「エゴ」をうまくコントロールする方法を学んでいく。
「遠足のおやつ、これもこれもこれも全部欲しいの!!!」(イド)
「学校の決まりで300円って決まっているでしょう。それは守らなきゃ。」(スーパーエゴ)
「でも、チョコもポテチも欲しいんだもん。持っていくって友達と約束したんだもん」(イド)
「じゃあ、チョコとポテチに似ているお菓子を、駄菓子の中から探して300円以内におさまるようにしてみない?」(イドを説得)
「わかった。じゃあそうしてみる」(スーパーエゴとの対話でエゴがうまく動く)
それを繰り返していくうちに、少しずつ自分の中の「イド」が「スーパーエゴ」とうまくやりとりできるようになる。
「イド」と「スーパーエゴ」は対話を繰り返すうちにだんだんとお互いの性格や傾向がわかってくるんだ。
「エゴ」はだんだん「どちらかにつく」のではなく、「3人」で動けるようになっていく。
これがきっと望ましい成長なんだと思う。
ところが「イド」を無視して縛りつけ、「スーパーエゴ」だけで大人になると、これらが頭の中でどう言うやりとりをしているか。
「おやつは300円以内だからね。学校で決まってるでしょ。」(スーパーエゴ)
「わかった」(スーパーエゴ)
(わがまま言わなくて助かるわ、物分かりが良くてうちの子は偉いわ)
(兄弟も多いし手がかからないに越したことはないわ、ラッキー)
「スーパーエゴ」で動くと周りが褒めてくれる。喜んでくれる。
そしたら「スーパーエゴ」がどんどん前に出てきて、「イド」は縛られたままどんどんストレスを溜めてしまう。
「(本当はもっとお菓子ほしいのに!)」(イドが無視されて怒り出す)
ストレスが爆発したら、縛りつけられた縄なんて簡単に千切ることができるって知ってるのに、
「スーパーエゴ」は「イド」のことを縛れるだけ縛っておこうとするんです。
縛っておけると思ってしまうんです。
いざとなった時に圧倒的に力が強いのは「イド」
そして「イド」のストレスが爆発した時、「不誠実な行動」になって自分の本心が正体を表す。
「(親の貯金箱からお金こっそりポケットに入れて好きなもの買っちゃえ)」
「(お小遣いくれないし仕方ないじゃん)」
「(バレなかったからセーフ)」
そして「約束を守らなかった自分」としてジャッジされるのです。
「(親)そんなものどこで買ったの!ズル汚いことして!」
「(クラスメイト)kakuregaちゃんなんでそんなにお菓子持ってるの?それどう見ても300円以上するじゃん。先生に言ってやろー」
(いい子で居たいのに、なんでこうなっちゃうんだろう……)
「約束を守れない」
「不誠実」なのは、あなたのせいじゃない。
あなたの中の「イド」のストレスが溜まっているだけ。
そして、「スーパーエゴ」との対話の仕方を知らないだけなんです。
それは本当は子供の頃、大人たちから教わり、自分の経験によって学んで、許されるはずだったものなんです。
「いい歳して」なんて言われても知らないものは出来ないんだ。
仕方がないんです。
○大人になっても約束が守れない人、ルールが守れない人はたくさんいる
そう言う人は幼少期、
●何らかの原因で「イド」を抑制されてきた人
もしくは、
●「イド」を全て叶えてもらってきたことで
「スーパーエゴ」との対話を知らない人なのではないかと思う。
私の場合は前者だ。
そして、それには機能不全家庭(アダルトチルドレン)がかなり強く影響している。
大人たちに守られて、失敗を許されてきた子供の頃に学んでくるべきことだったのかもしれないけど、学ぶことができず大人になってしまったんだ。
学んでいないものはいくら歳を重ねてもどうにもできない。
○「本心」と対話せずに一方的に叱りつけることは当人にとって効果的だとは思えない
対話の仕方がわからないものにいくら怒っても、できるようにはならないと私は思う。
お互いが精神をすり減らすだけで、考えを前に進める気力がなくなるだけだと私は思う。
○指導する立場の人は、「社会に求められる秩序」と「本心や欲求」とのうまい落とし所を探す手助けを、根気強くする他ないのではないかと思う。
当人は、どんなに偉そうな顔してても、
どんなに大人ぶっていても、年だけ重ねた小さな子供同然なんです。
周りの大人たちは、「もう大人なんだから」と言わず、「目線を幼児くらいまで落として」
怒鳴る、叱るのではなく、まずは「本心」を引き出し、「秩序」との手の取り方を見つけていくことしかないのではないかとおもいます。
○当人にまず自分でできることは、自分の中の「イド」の声に耳を澄ませること。
「聞く」までできなくてもいい。
「イド」さんの声に「耳を澄ませる」ことからはじめてみたらいいのではないか。
耳をすまさないと、「スーパーエゴ」の声がうるさくて聞こえません。
ゆっくり落ち着いて、静かに耳を澄ませる。
「いま、こうしたい」
「いま、こんな気持ち」
「ほんとうはこうしたい」
「ほんとうはこうなりたい」
その声を聞くと、
スーパーエゴはすぐにしゃしゃり出てきます。
「我慢しなよ!」
「みっともないよ!」
「怠け者!」
「常識知らず!」
「そんなの無理だよ!」
「エゴ」さんはそれを一旦なだめましょう。
「後で聞くから、ちょっとの間静かにしててね」
そして「イド」さんに向き直って、
今の気持ちと今やることの擦り合わせをします。
エゴ「そろそろ起きる時間でしょう?起きないと朝の準備が間に合わないよ。」
イド「まだ寝たい。眠い。いやだ。仕事行きたくない。」
エゴ「うん。そうだね。まだ寝たいし、仕事も辛いし行きたくないよね。」
イド「うん。嫌なんだ。ここから動きたくないんだ。」
エゴ「そっか。動きたくないんだね。じゃあ、動かなくて良いから、体だけ起こしてみない?ひとまず、それ以上動かなくて良いからさ。」
イド「動かなくて良いなら、わかった。体だけ起こしてあげる。」
エゴ「うん。えらい!よくできたね。」
エゴさんはスーパーエゴのところに戻って、
エゴ「イドさん、体おこすだけでもできたから、今日はこれで100点ってことにしない?そんなに責めないでやってくれないかな」
スーパーエゴ「フン…納得できないけど、まあ、あんたがそう言うならそういうことにしといてやろうか」
そうやってイドとスーパーエゴが納得できるまでじっくりじっくり自分と対話して、少しずつ少しずつ自分を動かす。
気持ちに沿った行動を起こす。小さなことでいい。
「喉が渇いた」から「水を飲む」
とか
「朝ジョギングしよう」と思ったけど、「もっと寝たいからあと1時間寝る」
とかなんでもいい。
自分に余裕がある時に、「どうしたいか」を聞いて、それに従って行動する。できたら自分をめちゃくちゃに褒める。
これだけで、「自分との約束を守る」ことができる。
自分の本当の気持ちを大切にすることができる。
「自分との約束」を破りそうになった時、「スーパーエゴ」との対話の練習をする。
これが「人との約束を守る」練習になる。
○「自分との約束」を守れるようになったら、少しずつ人と約束を守る練習をしてみよう
それができるまでは、無理して人のことまで考えなくていい。
自分を満たして、自分にできることだけやれば良いんです。
自分を信じられるようになってきたら、人にも同じことができるようになるはず。
○悲しいけどこのプロセスを理解してくれない人から心無いことを言われることもある。だけどそれは「一旦」聞かなくて良い。
自分と対話することに気づけた自分の方が、
一歩先を行けたことを、誇りに思えばいい。
辛いよね。
ほんとうは親にしっかり向き合ってもらいたかったよね。
不安定な家庭環境で心配させたくなくて良い子の顔してたから何も教えることなんてないって思われて。
ほったらかしてたら勝手に大人になるって思われて。
大人になったら突然「こんなこともできないの」って突き放されて。
でも、親は今更向き合ってなんてくれないし、自分と無償で1番親身に向き合えるのは自分しかいないんだよ。
○必要以上に自分を責めないで、まずは自分を1番大事にしよう
確かに約束を破ってしまって相手に迷惑をかけてしまったり、相手に悲しい思いをさせてしまうでしょう。
ただ、約束を守れないと言うことはそれだけ自分に余裕がないと言うこと。
スーパーエゴさんの強烈など正論を一旦流して、まずはイドさんをケアしましょう。
私の場合はここにさらにADHDの不注意や忘れっぽさがかけ合わさってくるのでさらに難しいんですが、それはまた別の話。