自分の人生を諦め始めている
あ、⚪︎ぬとかそういう話じゃないし、そんなにネガティブな話じゃない(と思う)ョ。
「自分の人生への期待や目標がどんどんなくなってきた」って話。
最近うっすら思ってること。
5年前くらいまではね、
ひたすらこんなこと考えて
寝る時間を削っては表現活動、
人と関わり繋がりとにかく動く。
結構無理しててしんどいな、って思いつつも、
目標やこうなりたい!っていう野心があったのです。
側から見ると夢や野心がある魅力的な若者だったでしょうね。
そしてそんな姿を応援してくれる人がいることが嬉しかった。
自分は生きていてもいいんだ、って思えたし誰かに期待してもらえることが本当に幸せだった。
でもkakuregaとしてnoteを初めて、
人からの評価なんか脇目も振らず自分の思いの丈を書くようになり
少しずつ自分の本心を紐解いていくとこうでした。
「母親の夢を叶えたい
母親を振り向かせたい」
「みんなから評価されることで
自分の抱えてきた苦しみが報われてほしい」
もう、大体このどっちか。
絶対に振り向いてくれない存在を追いかけて
自分の苦しみのゆく先を他人に委ねて
え、
私なんのために表現活動したいの?
ほんとうにやりたいことなの?
他人のために
他人に評価を押し付けて
期待した成果を得られない自分を責めて
そんな自分を休ませてあげようって。
そしたら、
なんかもう「どうでもいいかも」
になってきた。
私が言ってほしかったコメントを簡単に何個も貰うあの人のことも。
私の仲良くなりたかった人と私より仲良くなってるあの人のことも。
私がなりたかったポジションをかっさらったあの人のことも。
アイドルの卵のオーディション番組を見ていても
「私はこうなれなかった」
「羨ましい 悔しい」
そんな気持ちが最近なくなってきた。
私がなりたくて仕方がなかった
「こじはるみたいな透明感のある色っぽい女性」
も、私の顔のタイプや髪質ではなれないんだ、
私にはもっと似合う他のスタイルがあるんだ、って。
「私のなりたい容姿を全部持ってる子が目の前に居る」ってなっても
「羨ましい」じゃなくて
「この子見てたら満足する」
になってきた。
楽になったのかな。
諦めたのかな。
自暴自棄なのかな。
"自分への期待を手放す"
楽に生きたきゃ完璧主義をやめろ?
自分に期待しすぎるな?
自分を許せ?
なんて、頭ではわかってるんです。
でもどうやったらいいかわかんないじゃん。
"自分への期待を手放せ"
なんて遠回しなこと言わずにさ、
"さっさと諦めろ"
って言われた方が早く辿り着けたのかも。
今までありがとう。
ごめんね私。
これからは私が私を守ってあげるからね。
孤独だった私の心を、
私が少しずつ解いてあげる。
心は死んだけど、
体は生きていて、
感情の起伏が減ってきていて、
楽になったような、
世界の色が、味が薄くなっていくような
不安なような安心するような
なんとも言えない感覚に堕ちていってる。
だけど今までの自分を捨てて、
いまの自分のやりたいことに従って
だしをとったり味噌汁を作ったり
コーヒーを淹れたりすると
誰とも会話しなくても確かに心がほっこりしている。
いまは、それでいい。
そんな今日このごろ。