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この日常にできたわずかな傷口から妄想や陰謀が侵食していく/【書評】『サブリナ』ニック・ドルナソ 藤井光・訳 早川書房
『サブリナ』は、サブリナという女性の失踪事件を発端として関わる人間が徐々に追い詰められ、社会もSNSを通じて陰謀と妄想の不穏な空気が膨らみ主人公たちに追い討ちをかける。この日常にできたわずかな傷口から妄想や陰謀が侵食していく感じがグラフィックノベルでありながらとてもアメリカ文学的だ。
帯にはエイドリアン・トミネが絶賛との惹句が踊るが、まさしく初期のトミネの『スリープウォーク・アンド・アザー・ストーリーズ』のような渇いた気怠さを彷彿とさせ、絵柄は『キリング・アンド・ダイング』のような(いやそれ以上に少ない線の)ポップでありつつも不穏な物語とのギャップが強烈な印象を残してくれる。
最近読んだ『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史』(カート・アンダーセン/東洋経済社)は、キリスト教的な“信心の自由”から個人が幻想や荒唐無稽な説を信じ広めようとしても誰も咎めず、それは個人の自由と信心の自由として野放途に拡大していくという、アメリカ建国から現代にいたるまで政治と宗教、アメリカン・ドリーム、そして映画やディズニーなどのエンタテインメント産業まで、アメリカ社会に浸透しているファンタジーや幻想とその狂気を記したとても興味深い本であった。
中でも“問題になるのは、客観よりも主観を極端なまでに重視し、意見や感覚を事実並みに真実であるかのように考え行動する人々だ”という言葉が重い。
アメリカの小説を読んでいるとふいに陰謀論みたいなものが顔を出す。共和党の企み、リベラルの偽善、それらが登場人物の口からしれっと出てくる。それはジョークであったり都市伝説や噂であったりするのだけれど、文学が色づけするこのアメリカ社会に付いて回る強迫観念、パラノイアはもうアメリカの風土病みたいなものではないか。宿痾といってもいい。代表的なのはトマス・ピンチョンの小説だろう。僕にとってアメリカのポストモダン文学の代名詞は“パラノイア”になってしまっている。
※いまやビデオゲームの世界まで浸透し、ゲーム『Grand Theft Auto』シリーズではトマス・ピンチョンやアメリカのポストモダン文学のパラノイア傾向をアメリカ社会のディフォルメとして色濃く描いていたりする。
『サブリナ』に漂う不穏な空気感はウエルズ・ダワーの短編集『奪い尽くされ、焼き尽くされ』での行き場のない閉塞感を思い出したのだが、これもまた『サブリナ』と同じ藤井光さんの訳本だった。そういえばセス・フリード『大いなる不満』やダニエル・アラルコンの物語世界に惹かれた僕にとって藤井さんの訳本はとても僕の好みにフィットする作品なのだろうと今更ながら気付かされた。
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グラフィックノベル初のブッカー賞ノミネート!
ある女性が失踪した。その後、彼女に関する衝撃的な映像を収めたテープが新聞社に送られてくる。その映像はインターネットを席捲し、噂や憶測、陰謀論が湧き上がる。ゼイディー・スミス、エイドリアン・トミネ絶賛。現代社会を映し出す傑作グラフィックノベル
(ハヤカワオンライン)
『サブリナ』
ニック・ドルナソ/著 藤井光/訳
早川書房 出版年月:2019年10月
ISBN: 978-4-15-209883-2 税込価格 3,960円
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ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史 上・下
カート・アンダーセン/著 山田美明/訳 山田文/訳
東洋経済新報社 出版年月 2019年1月
上 ISBN:978-4-492-44452-8 下 ISBN:978-4-492-44454-2
税込価格 各2,200円
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スリープウォーク・アンド・アザー・ストーリーズ
エードリアン・トミーネ/著 山田祐史/訳
プレスポップ 出版年月 2003年11月
ISBN :978-4990081-26-3
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キリング・アンド・ダイング
エイドリアン・トミネ/著 長澤あかね/訳
国書刊行会 出版年月 2017年5月
ISBN:978-4-336-06167-6 税込価格 3,740円
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奪い尽くされ、焼き尽くされ
ウェルズ・タワー/著 藤井光/訳
新潮社 CREST BOOKS(※品切) 出版年月 2010年7月
ISBN:978-4-10-590084-7 税込価格 2,090円
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