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灯台|Lighthouse

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すずきが訪れた日本の灯台の写真を記録しています。灯台を知るために灯台に関するコラムや記事なども書いています。 ※記事・写真の無断転載を禁じます This site record…
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#広島県

灯台INDEX

最終更新日:2024年11月25日 灯台マガジンのインデックス(随時追加) 訪れた灯台、コラム、記事などをインデックスしています。 ※灯台名横の(A~D)は明治期に建造された灯台を①歴史的・文化財的な視点、②土木・建築史的視点、③生活文化史的視点から『灯台施設調査委員会』(1985~1987)が判定・分類したランク。 コラム灯台の歴史《世界編》灯台の歴史《日本編》条約灯台|江戸条約・大坂条約灯台発祥の地|神奈川県横浜市 ◆北海道◆日高門別灯台|北海道日高町 2022年

小佐木島灯台|広島県三原市

小佐木島灯台(C)広島県三原市 2023年10月24日 1894年(明治27年)7月4日点灯。保存ランクC。 灯塔構造は円形石造で石積みの囲障がある。  糸崎港(三原市)から沖合約4kmに位置する小佐木島灯台は、来島海峡の潮流の影響を比較的に受けないひうち灘から布刈瀬戸、三原瀬戸を通過して周防灘に出る三原瀬戸航路上にほぼ同時に建設された9つの灯台・灯標のひとつ(百貫島灯台、大浜埼灯台、長太夫礁灯標、小佐木島灯台、高根島灯台、大久野島灯台、|鮴崎灯台、中ノ鼻灯台、大下島灯台

小麗女島灯台|広島県呉市

小麗女島灯台広島県呉市 2024年6月3日 呉港の入口に位置し、戦前には海軍の見張り所があった|小麗女島は、戦後になると呉海上保安部の「小麗女島信号所」が置かれ、1948年(昭和23年)に同信号所に灯器が設置され小麗女島灯台となった。 参考 『呉海上保安部 灯台さぽ』https://www.kaiho.mlit.go.jp/06kanku/kure/toudaisapo.html

旧草津港灯台|広島県広島市

旧草津港灯台|広島県広島市 2024年6月2日 1950年頃から草津港の防波堤にあった灯台。 同地はかつて港であったが、1971年(昭和46年)からの開発で草津、井口の海岸が埋め立てられて造成された。かつて草津港の防波堤にあった草津港灯台周辺は西部埋立第七公園となったが、旧灯台と防波堤の一部はそのまま公園内に残され保存されている。 広島電鉄宮島線草津南駅から徒歩3分ほど。

笠磯灯標|広島県江田島市

笠磯灯標|広島県江田島市 2024年6月3日 1981年(昭和56年)1月12日に点灯。 三高港沖の浅瀬を示すために設置。

西五番之砠灯標|広島県呉市

西五番之砠灯標(D)|広島県呉市 2024年6月3日    1904年(明治37年)3月10日点灯の石造の灯標。保存ランクD。 広島湾の東にある倉橋島から北西方約200mに位置する岩礁上に建設された。明治後期に海軍の要請により建設された灯台・灯標のひとつ。 基礎部はコンクリート造、上部から花崗岩を積み上げ、内部はコンクリートを充填。最上部は鉄造の複合構造。 外装は黄地に黒横帯1本の“西方位標識”(西側が航行可能領域で東側に障害物があること標す)。 参考 ・第六管区海上保安部

中ノ瀬灯標|広島県江田島市

中ノ瀬灯標(C)|広島県江田島市 2024年6月3日  1903年(明治36年)4月1日点灯。保存ランクCに指定。 広島県江田島市西能美島の北北西方約800メートル、広島港、呉港、伊予灘を結ぶ航路上にある暗礁に建設された。  海軍兵学校、呉港の呉鎮守府、海軍造船部(後の呉海軍工廠)など海軍の拠点となっていた広島湾岸において海軍の要請により建設された灯台・灯標のひとつ。同時期に建てられた灯台・灯標には安芸白石灯標(明治34年)、屋形石灯標(明治36年)、小那沙美島灯台(明治3

中ノ鼻灯台|広島県大崎上島

 中ノ鼻灯台(C)|広島県大崎上島 2023年10月24日 1894年(明治27年)5月17日点灯。  瀬戸内海の大崎上島南東に位置する中ノ鼻灯台は、日清戦争開戦当時に強潮流の来島海峡を避けて比較的潮流の影響を受けない三原瀬戸航路を航行をする船舶が増えたため(兵馬、軍需物資の輸送など)、明治27年5月に同航路の整備のために約5ヶ月という短期間で建設された8灯台1灯標のひとつ(中ノ鼻灯台のほか、大浜埼灯台、百貫島灯台、長太夫灯標、小佐木島灯台、高根島灯台、大久野島灯台、鮴埼め

屋形石灯標|広島県江田島市

屋形石灯標(D)広島県江田島市 2021年10月22日 広島湾の沖合い、江田島北端約100mの暗礁に建てられた屋形石灯標は1904年(明治37年)に点灯開始。 灯塔は環状に花崗石をセメントで積み上げ、内部にコンクリートを充填した構造。 1983年(昭和58年)にステンレス製の踊り場を増設。 明治20年代に江田島の海軍兵学校、呉港の呉鎮守府、海軍造船部(後の呉海軍工廠)が設置され、屋形石灯標周辺は海軍の拠点となっていた。明治30年代には海軍の要請により、安芸白石灯標(明治3

大浜埼灯台|広島県因島市

大浜埼灯台(C)広島県因島市 2021年10月22日訪問 1894年(明治27年)7月4日点灯。 瀬戸内海を航行する船舶は「一に来島、二に鳴門、三と下って馬関の関(関門)」と呼ばれるほど潮流の速い来島海峡を通る必要があった。そのため、できるだけ潮流の影響を受けないひうち灘から布刈瀬戸、三原瀬戸を通過して周防灘にでる「三原瀬戸航路」を使用した。  大浜埼灯台はこの航路上にほぼ同時に建設された9つの灯台のひとつ(百貫島灯台、長太夫灯標、小佐木島灯台、高根島灯台、大久野島灯台、|