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最終更新日:2024年11月25日 灯台マガジンのインデックス(随時追加) 訪れた灯台、コラム、記事などをインデックスしています。 ※灯台名横の(A~D)は明治期に建造された灯台を①歴史的・文化財的な視点、②土木・建築史的視点、③生活文化史的視点から『灯台施設調査委員会』(1985~1987)が判定・分類したランク。 コラム灯台の歴史《世界編》灯台の歴史《日本編》条約灯台|江戸条約・大坂条約灯台発祥の地|神奈川県横浜市 ◆北海道◆日高門別灯台|北海道日高町 2022年
豆酘埼ミョー瀬標柱(旧豆酘埼灯台)(C)長崎県対馬市 2024年10月20日 1909年(明治42年)10月13日点灯。 |豆酘埼ミョー瀬標柱は豆酘埼灯台として対馬南端の豆酘埼より南南西約1.2km沖合いの暗礁「ミョー瀬」上に建てられた灯台。構造は円形コンクリート造。 設置当時は無筋コンクリート造で円形黒白継線塗り。1934年には白色に塗装さた。2020年には灯室部が破損し撤去されている。 旧豆酘埼灯台は保守管理が非常に危険であったことや、光力の増大の必要性から198
面高白瀬灯台(D)|長崎県西海市 2024年10月22日 1894年(明治27年)8月28日点灯。保存ランクD。 西海町北端の寄船鼻から沖合約7kmの干岩礁に位置する。 日清戦争の際に軍用として木造で建てられたが、1903年(明治36年)に腐朽のため改築。
口之津灯台(B)|長崎県南島原市 2021年10月17日訪問 口之津港の出入り口に建つ口之津灯台は1880年(明治13年)点灯。 レンガ造りの灯台としては第七管区長崎保安部では最古の灯台。 保存灯台としてはBランク。 口之津港は16世紀にポルトガル船が入港した古い港で、適度な水深と地形から天然の良港として船の潮待ちや風待ちとして利用されてきた。 灯台が建設された明治時代、三池炭鉱のある三池港は大型船が接岸できなかったため、採掘された石炭を小舟で運び、口之津港で大型船
沖ノ瀬灯標|長崎県島原市 2021年10月17日訪問 「灯標」とは、船舶に岩礁、浅瀬等の障害物を知らせるため、または航路を示すために岩礁、浅瀬等に設置した構造物で灯火を発するもの。(海上保安庁) 標識名 沖ノ瀬灯標 (おきのせとうひょう) 位置 長崎県南島原市南有馬町地先(沖ノ瀬) 北緯:32-36-42 東経:130-14-14 灯質:郡閃白光 毎5秒に2閃光 構造:コンクリート造 昭和53年10月31日初点 長崎県南島原市南有馬町(※なぜかGoogleMapのリ
伊王島灯台|長崎県長崎市 2021年10月17日訪問 長崎港の出入り口に位置する伊王島に建てられた伊王島灯台は1870年(明治4年)7月30日に点灯を開始。 伊王島灯台は慶応4年に英国指揮官により伊王島灯明台(灯明台=古い日本式灯台)としてで布告されていたが、構造こそ鉄造の洋式灯台だったものの、その灯火は貧弱であったという。 この初期の伊王島灯明台は、1865年(慶応元年)に長崎の外国商人と船長の5名の連盟によって建設の嘆願書が長崎奉行あてに提出され、1867年(慶