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灯台|Lighthouse

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すずきが訪れた日本の灯台の写真を記録しています。灯台を知るために灯台に関するコラムや記事なども書いています。 ※記事・写真の無断転載を禁じます This site record…
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2023年11月の記事一覧

屋久島灯台|鹿児島県屋久島町

屋久島灯台(B)|鹿児島県屋久島町 2023年10月16日  1897年(明治30年)1月10日点灯。屋久島の北西、永田岬に築造された屋久島灯台は太平洋戦争の米軍の攻撃にも耐え建設当時の姿を今に残す。  1895年(明治28年)、日清戦争に勝利した日本が下関条約により台湾を割譲。台湾を自国の領土としたことで本土との航路が活発となる南方航路整備のために明治28年から明治30年初頭にかけて建設された、いわゆる台湾航路灯台8基のひとつ。設置にあたってはそれまでの逓信省航路標識管理

樫野埼灯台|和歌山県串本町

樫野埼灯台(B)|和歌山県串本町 2023年5月2日 1870年(明治3年)6月10日に潮岬灯台の仮点灯と同時に点灯を開始。1866年(慶応2年)の改税約書(江戸条約)締結により建てられた8基の灯台のうちのひとつ。リチャード・H・ブラントンが手がけた最初の灯台であり、最初に築造された石造灯台。隣接する石造りの旧官舎もブラントンが日本で最初に竣工させた建物。石材は対岸の古座川町産の宇津木石。レンズは反射器付レンズを採用し、1933年(昭和8年)3月に二等二連閃光型フレネルレン

潮岬灯台|和歌山県串本町

潮岬灯台(A)|和歌山県串本町 2023年5月2日  1870年(明治3年)6月10日に樫野埼灯台同時に仮点灯。本点灯は1873年(明治6年)9月15日。1866年(慶応2年)の改税約書(江戸条約)により建設された8基の洋式灯台のひとつで、現在の潮岬灯台は二代目。初代はリチャード・H・ブラントンが設計した八角形の木造灯台だった。初代潮岬灯台は条約灯台としては唯一の木造灯台で、基礎から灯塔までの高さ23.9mは日本一高い灯台であった(神子元島灯台よりも20cm高い)。また隣接

紀伊日ノ御埼灯台|和歌山県日高町

紀伊日ノ御埼灯台|和歌山県日高町 2023年5月2日  1895年(明治28年)1月25日点灯。現在の灯台は3代目。平均水面から灯火までの高さは128mで和歌山県内の灯台で最も高い。  初代紀伊日ノ御埼灯台は紀伊水道を航行する船舶の指標とする沿岸灯台として日ノ岬の美浜町に設置された。1945年(昭和20年)7月30日に米軍機の爆撃により炎上大破し解体。戦後の1951年(昭和26年)7月12日に200m北東の位置に二代目紀伊日ノ御埼灯台が再建された。2012年(平成24年)に

姫島灯台|大分県姫島村

姫島灯台(B)|大分県姫島村 2023年10月13日  九州は大分県、国東半島の北にある姫島の東端に建設された姫島灯台は1904年(明治37年)3月20日に点灯を開始。Bランクに分類される灯台。周防灘に位置する姫島は古くより航路の重要な目印とされており、1605年(慶長10年)に小倉藩主細川忠興が姫島の西端に灯明台を設置。これが日本灯台史上始めての篝火とされる。  灯塔構造は円形石造。石材は山口県大津島産の大津石を使用。大津石は姫島と同年同日に点灯を開始した水ノ子島灯台に

野間埼灯台|愛知県知多郡美浜町

野間埼灯台|愛知県知多郡美浜町 2022年12月11日  知多半島最西端にある野間埼灯台は1921年(大正10年)3月10日に点灯。 愛知県では最古の灯台。初点灯から有人灯台であった野間埼灯台は1984年(昭和59年)に野間埼航路標識事務所廃止により無人化される予定だったが、統合先の師埼航路標識事務所の宿舎不足のため引き続き職員一名が旧灯台宿舎を使用し、県下唯一の有人灯台としても親しまれていた。1989年(昭和63年)に師崎地区に宿舎一戸が増設、同年3月末に無人化された。

旧小那沙美島灯台|愛知県犬山市(明治村)

旧小那沙美島灯台|愛知県犬山市(明治村) 2022年12月12日   日露戦争の開戦直後の1904年(明治37年)に広島湾の小那沙美島(現在の絵の島)に建てられた。同年3月10日に点灯。1899年(明治32年)に海軍大臣より、海軍の一大拠点となっていた広島湾内への航路標識設置が要請され建設。要請された航路標識は小那沙美島ほかに安芸白石灯標、中ノ瀬灯標、屋形石灯標がある。日露戦争開戦直前から3か月という短い工期で建てられたため、5つの部分からなる組み立て式となっている。窓枠は

旧品川灯台|愛知県犬山市(明治村)

旧品川灯台(廃灯)|愛知県犬山市(明治村) 2022年12月12日  1870年(明治3年)3月5日に点灯。幕末に江戸防衛のために築かれた品川台場のひとつ第二台場の南西端に建設された。洋式灯台としては観音埼、野島埼に続き日本で三番目の灯台。また観音埼灯台、野島埼両灯台が関東大震災により倒壊したため、品川灯台は日本に現存する洋式灯台では最古のものとなる。設計は横須賀製鉄所首長のヴェルニーのもと、灯台技師で建築課長ルイ・フェリックス・フロラン。 使用された7500個の煉瓦は横須