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好きなものは好き、嫌いなものは嫌いだと言えるか

平成の大ヒットソングの一つ、『どんなときも。』の中にこんな歌詞がある。

好きなものは好きと言える気持ち抱きしめてたい

『どんなときも。』槇原敬之

好きなものを好きと言える気持ちがここ数年なかった。
以前の記事でも書いたが子育て・仕事・家事に忙殺されていた毎日に
自分のことは基本すべて後回しだったし、自分の好きなものに費やすお金なんてもったいないと思っていた。
これなんかかわいいな。これ欲しいな。と思った1秒後には
「いやいや、別に要らないでしょ」と気持ちに対して即座に蓋をする。
そんな日々を繰り返したせいか、自分の好きなものややりたいものが分からなくなってしまっていた。

休職5か月目に入り、気候も穏やかになったので外出するのが楽しくなり
久しぶりに古都で知られる観光地に遊びに行った。
個性的なお店が沢山並び、10歩も行けばおしゃれなお店にたどり着く。
店内は素敵なものであふれており、いちいち「かわいい!!」と連呼する。

こんなに心がときめいて、しかもその気持ちに否定しなかったのはいつぶりだろう?好きと言える気持ち抱きしめるまではいかなくても、自分の中でしっくりくる空間やものに触れることがとても心地よかった。

逆に、嫌なこと・ものへの嫌という気持ちもハッキリしている。
(嫌なものは嫌と言える気持ちも抱きしめてもよい◎)
帰り道に乗り換えで主要駅の駅ビルに立ち寄った。
昔からそもそも人が大勢いる場所が苦手だし、若い子がワヤワヤしている場所も苦手なのだが、次の就職先にどうかと考えているお店があったため覗いてみたのだが…。

「この場所、居心地悪いな。なんか、嫌だな。」
と駅ビルに入って1秒で感じる。
人が大勢いて尚且つ窓がなく閉ざされた空間・・・窒息しそう!!!

気になっていたお店もマニュアル通りというか当たり障りのない感じだったし、ビビッとくるようなもの、人、空間ではなかった。
以前お店の求人を調べた際に労働形態も引っかかるところがあったので、この空間では長て続きしないだろうな・・・ということでこの路線は無し。

好きという気持ちは心がときめくし居てもたってもいられない(欲しい・買いたい・もっと居たいなど)長続きしてほしい。
嫌いな気持ちは自分には合っていないのでさっさと諦めることが大事。
どちらも気のせいとか、なあなあにして誤魔化していると、肩こりと同じで心が凝り固まっていってしまって動かない・ほぐれない・硬くなるといった辛い状態になってしまう。

休職中は自分の好きをもっと深めようと思う。好きなものを買う、好きな場所に行く、好きな人と時間を過ごす。どんどん心の凝りをほぐしたい。