初個展通過後の光と闇
初個展を終えて2ヶ月以上。新作に取り組んではおりますが、良くも悪くも以前とは違う景色も見えてきており…。
わいてくるのは決してこのような↓ポジティブな想い(光)だけではないんですね…。
焦り?恐れ?責任?プレッシャー?…とも言える、自分で自分の足引っ張る念(闇)↓ も同時にワラワラと頭をもたげてくる…。
「マグレで上手くいっただけでは?」
「どうしよう...あれ以上のものできるかな?」
「私の実力ここまでだったりして...。」
考え過ぎて固まって「あれ?私今までどうやって描いてたんだっけ?」と筆の進みが遅くなり、評判良かった直前作を観ながら「確かここでこうやったんだよな。その手をここにも使ってみるか…。」となったり…。
でも先生曰く...この心理は誰もが通過するし、揺れ幅こそ小さくなるものの、百戦錬磨でも毎回直面するテーマだとか。で、その都度、過去の成果(栄光)はリセットして白紙に戻し、目の前の作品に「無」になって向き合うように努める …と。
先生も、今までの自分を勇気を出して " 手放し " ながら制作 してこられたんですね。「まっさらでニュートラル(フラット)な状態に戻す 」を節目ごとに繰り返して。
わかっちゃいるけど難しい…人間は得たものにしがみつきがち…そしてコンフォートゾーン(この場合「安心できる誉められた心地良い自分」)に留まりたがる…。だって恐いもん、そっから出るの…。
…で、出ようとすると、上の【黒枠内】のような 自己否定的雑念 が引き戻そうとする…。(出てくるネガティブ妄想は幻想に過ぎないのにね。)
綱引きになるわけだ…。
この引き戻す雑念、 エゴの声 なんだそうです。(先生弁)
「エゴ」って「エゴイスト」って言葉と似てるから「我儘、自分勝手」ってイメージがありますが、そうではなくてむしろ…
…なのではないかな?
これ↑は先生が個展に出されてたシリーズ作品の1つですが、左側のプラチナ部分は「目に見える形として認識できる " 物質的な世界 " 」で、右側が「目に見えず形も無い " 光の粒のような世界 " 」だそうです。人間は皆、この両方で構成されてる…と。
不安や恐れ(闇) が頭に浮かぶ時って、この左のプラチナ部分 "のみ" を守る「自己保身欲(エゴ)」がムクムクわいて、右の光の粒の部分を " 分離 " させてどっかに押しやってしまってる 状態?
でも 自分を構成してるのは、実際は「光の粒」が大半 で、しかもそれはそのまた 大元の「光の源」とも繋がって て...。
だからたとえ仮に「マグレ」としても、その「偶然性」さえ、「源」との共同作業で「必然的に」" 自分が " 起こしたこと なんですよね、きっと。
そう。こっちが幻想でない事実。…しかし 厄介なのはそれを "台無し/帳消し" にする負のパワー「 " 恐れ " という強敵」(自分の中の闇) …。
邪魔くさいやっちゃな〜、、、嗚呼モッタイナイ…。
つまり…
…てことか…。
揺れるのは人間だから仕方ないけど、その都度これで 「本来あるはずのバランス」を思い出し、まず闇浄化 ...?
そうすると左部分も、右部分と統合されて、" 内なる光 " が物質界で純粋に表現されるよう働いてくれる??(両輪…というか、役割分担…みたいな??? 右ばっかでも具現化されないからね。)
そう、闇(エゴ=自己保身欲)は左と右を " 分断 " させて、 " 内なる光 " なんて無いことにしてしまう のだ。(まんまと罠にハマる所だった…。)
…と、まぁ小難しく書いてきたけど、とどのつまり何が言いたいかというと…
…これです。はい。
名付けて 「打倒エゴ作戦」 。
これで一発撃退! 「ワクワク」に勝るもの無し…ですね。😉
そして、過去にも未来にも余計な思いは馳せず、
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(言語化にチャレンジし始めたら収集つかなくなって、下書きから投稿までエライ時間かかってしまった…。😅 実際はもう取りかかって描き進めてまっせ🎶 行き着いた「新たな試み」は別記事で! )