コロナ医療周辺の短歌
2021年2月~22年4月、私は感染症病床を持つ総合病院の看護助手(補助者)をしていました。コロナ禍の医療現場を知りたい、少しでも役に立ちたいと考えたのです。その間に味わったことを短歌にし、結社誌に投稿したものを掲載します。(数字は掲出月)
私の所属は回復期の病棟で、Covid肺炎の後遺症を治療する患者さんも何人かいました。病棟の入院期間は最長半年でしたが、家族はほとんど面会することができませんでした。
2021年秋は第5波(デルタ株)の後で、陽性者増がいったん落ち着いた頃でした。12月始めまで感染症病床は使われず、面会も15分だけ許可され、比較的平穏だったのです。それでも感染対策は厳しく、ことあるごとに拭き上げ・消毒をしなければなりませんでした。
2022年1月、ある日突然、所属病棟からクラスターが発生してしまいました。オミクロン株による第6波の襲来でした。
2日前まで楽しく会話していた患者さん達は、病室ごと隔離され、発熱して体力の弱い方は次々と感染症病床に運ばれていきました。
私も防護服を着てビニールに包まれた食事を運び、あるいは感染ごみと格闘しました。その物々しさは、コロナ禍の始め、クルーズ船の件があった頃と変わりませんでした。
ところが数日後、私は備品や洗濯物を運ぶ部署へ移されてしまいました。資格・スキルがないので戦力外とされたのでしょう。
結果としてその職場は辞めましたが、再び感染症病床のある病院に、今度は昔と同じ事務員として就労しました。実はこれを書いている今、私自身が新型コロナウィルス感染症にかかり(病院経由ではありません)、自宅にこもっています。約3年を経て、前ほど恐れられるものではなくなってきましたが、その伝播力はいまだ強く、人によってはリスクの高いものです。今でも最前線にいる医療従事者の方々を応援したいと思います。
<出典:塔(2021.05~2022.07) 投稿 より 若月香子>