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コロナ医療周辺の短歌

2021年2月~22年4月、私は感染症病床を持つ総合病院の看護助手(補助者)をしていました。コロナ禍の医療現場を知りたい、少しでも役に立ちたいと考えたのです。その間に味わったことを短歌にし、結社誌に投稿したものを掲載します。(数字は掲出月)

・何本のハンドソープがこの街を護るんだろう棚がらんどう

2021.05

私の所属は回復期の病棟で、Covid肺炎の後遺症を治療する患者さんも何人かいました。病棟の入院期間は最長半年でしたが、家族はほとんど面会することができませんでした。

・気がつけば病棟に居り防護服横目にお茶のワゴンを運ぶ
・筋注の針より伝う情報に「心得たり」と免疫(われ)は答える

2021.08

・「がんばれ」の画用紙を手に児童らは声無く燃ゆるミニ運動会
・オシボリの袋のごとく衛生と不衛生との境に立つわれ
・床頭台に花はなくとも折々に増えるオムツが見舞いの代わり

2021.09

2021年秋は第5波(デルタ株)の後で、陽性者増がいったん落ち着いた頃でした。12月始めまで感染症病床は使われず、面会も15分だけ許可され、比較的平穏だったのです。それでも感染対策は厳しく、ことあるごとに拭き上げ・消毒をしなければなりませんでした。

・二十時に一人ガストへ行けるのも贅沢と知るR3・秋

2022.01

・拡げたる指にあかぎれピリピリと走る師走の病棟掃除
・はてしなき消毒ループ病室に入ればつかの間痛みは引きぬ
・一日に千枚破棄のプラグローブ冷たき人造皮膚の触れ合い
・全空床臨時病棟配備よしコロナ医療に終戦はなし

2022.03
消毒液

2022年1月、ある日突然、所属病棟からクラスターが発生してしまいました。オミクロン株による第6波の襲来でした。
2日前まで楽しく会話していた患者さん達は、病室ごと隔離され、発熱して体力の弱い方は次々と感染症病床に運ばれていきました。

・病棟に大バリケード広がれり向こうには未だ日常ありて
・AさんのBさんの今の容体は市の広報の数でしかなし
・ナイチンゲール乱れ飛ぶ中ただ壁を拭き続けたる我、防衛とは
・ゾーニング、プラゴミの山、開かぬ窓、何かおかしい我もおかしい

2022.05

私も防護服を着てビニールに包まれた食事を運び、あるいは感染ごみと格闘しました。その物々しさは、コロナ禍の始め、クルーズ船の件があった頃と変わりませんでした。

ところが数日後、私は備品や洗濯物を運ぶ部署へ移されてしまいました。資格・スキルがないので戦力外とされたのでしょう。

・疎開者のごとく持ち場を移されぬ「足手まとい」という語が泳ぐ
・吾子よりも重き袋をかつぎ上げ走る我らも医療従事者

2022.05

・病院の最下階には見せられぬもの集まりてなお密度濃し
・黒き顔もつ天使ありその毒をいやす業務も医療にはあり
・不良品リネンの袋あふれたり我もほつれしタオルの一つ

2022.07

結果としてその職場は辞めましたが、再び感染症病床のある病院に、今度は昔と同じ事務員として就労しました。実はこれを書いている今、私自身が新型コロナウィルス感染症にかかり(病院経由ではありません)、自宅にこもっています。約3年を経て、前ほど恐れられるものではなくなってきましたが、その伝播力はいまだ強く、人によってはリスクの高いものです。今でも最前線にいる医療従事者の方々を応援したいと思います。

<出典:塔(2021.05~2022.07) 投稿 より 若月香子>