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バーレッスンが続いている


毎日30分


去年の10月、YouTubeにこんな動画を見つけて始めたレッスン

毎日続けようと思ったけれども

1年も続いたなんて、ちょっと自慢したくなる。


途中、発熱で2日

神経痛らしきもの(肋骨)で1週間

そのときはさすがに中断したけれど、毎日30分が1年を超えた。


子どもを産んでから全く運動をしなくなった私にはすごいことなのだ。


多分、筋トレだったら続かなかっただろう

マラソンとか、自分をいじめる系なら絶対に無理だった。


バーレッスンの魅力


バーレッスンには不思議な魅力が詰まっている

3歳から10歳ごろまでバレエを習って(習わされて)いたが

脳内と体のどこかに埋もれていた記憶が

成人になり、結婚や出産や、お仕事を経て

子離れをしたり、還暦を迎えたりという人生のど真ん中を

どーんと貫いて、戻ってきた感じがする。


懐かしさといえば懐かしさ

習わせてくれた亡き親への感謝といえば感謝

クラシック音楽ではないけれども、すてきな曲にも乗せられ

バレリーナ芸人のけっけさんの人柄が

厳しさの中にも楽しさを感じさせてくれる


鏡に映るボディタイツ姿も、案外私をその気にさせたのかもしれない。


こうした要素の中心に

足腰の衰えを防ぎたいという、切実な願望もあった

親類を見回せば、寝付く初めの原因は皆、骨折だった

ただ歩いたり、階段の上がり下りだけでは

バランス感覚や、体幹は鍛えられない

コロナで行動範囲が狭くなったので、モチベーションは一層高かった。


これはホームランかも


しかし、バレエを踊るのではなく、バーレッスンなので

多分、「好き」というところまでは行っていない。

ここから進んでバーから離れ、小曲でもこなせたら

「好き」というところへ行けるのかもしれない。

バーレッスンはバレエの基礎で、地味で、堅実な鍛錬だ

一曲、踊りをものにしたときが、きっと楽しくなるときだろう。


それでも、当初に比べたら余裕が出てきて

そろそろ次のバージョンに移ろうかと思ったりしている

生活の中にこの30分を取り入れたことは

われながら大ヒット、いや、ホームランだったかもしれない。

開脚はまだ150度ぐらいだけど、無理はしない


1年の間には、悲しい出来事があったり

時間が押せ押せになったり、レッスンどころではない日も何日かあった。

でも、ここまでコンスタントに続いていると

「こんなことで途切れたらもったいない」と、がぜん、欲が出てくる。


そして、体を動かしていると、不思議と心が軽くなることも発見した。

汗をかく爽快感、今日もやり切ったという達成感

それが積み重なっていく喜びも……。


ちょっと嫌なのは、柔軟体操の後の最初の5~6分だけ。

そこを越えたら何ともなくなるという経験知も背中を押してくれる。


今日は心が軽いから、指先まで気持ちが届いている

今日は駄目だ、頭が献立を考えている、ただ足を動かしているだけ

つま先の伸ばし方一つでも、日々違う

レッスンをしながら、いろんな自分も見えてくる。

気が付けば、体重が2~3キロ落ちて足がむくまなくなったのだから

やっぱり特大のホームランだったのではないか。


YouTubeのお姉さんに感謝!


デスクワークなので、かつては足がむくんで正座もできなかった

息子や姪が気の毒がってプレゼントしてくれたのは

血行の良くなる医療用のストッキングなどだ。


すっかりはかなくなってしまった(お高いのに)


かつては、毎日はいていたが、今は全く必要なくなってしまった

もちろん、コロナで仕事量が減り、在席時間が短くなったこともあるだろう

そもそも、仕事が緩くなってきたから

体のことを考える余裕が出てきたということかもしれない


でも、あのとき、もし、このYouTubeに出会わなかったら

体のベクトルはもっと不健康な方に向いていたかもしれない。


人のベクトルは、案外簡単に方向を変えてしまうものだから

おいしいものにはまればそちらへ

楽しいことにはまればあちらへ

そう思うと、やっぱり感謝、感謝である。


生活改善も進行中


適度な運動を続けるということは

自然と、食事や生活全般にも意識が向くようになるということだ。

ほんの少しずつ、ゆっくりだが、革命は進んでいる

そして、今は鏡を見て、毎日表情をチェックするようにもなった。

若いころは倦かず眺めていた鏡だが

近年は、歯磨き、洗面のついでに何気なく一瞥して終わっていた

この10年ぐらいは特にそうだ。

ふと、気付くと、全く何の魅力もない仏頂面の自分が映っていた

眉間にしわこそないが

見る人が気の毒になるような険しい顔だった。


これはまずい、何とかしなければ

いつも見ていたくせに、急にその気になって

デスク脇に鏡を置くようになったのが、つい3週間前だ。


10cmほどの鏡、カバーが厚いので持ち運びに便利


日に何度か鏡にほほ笑みかけるようになってからは

表情が心持ち豊かになってきた。

思えば、モデルさんや、女優さんや、あの寂聴さんだって

笑顔がとってもすてきなのは、人に見てもらえるからだ

誰も見てくれないと、表情も反応しなくなってくるのかもしれない。

自分の顔を見てほほえみかけることも、こうして功を奏しつつある。

年齢は重なる一方だけれども

いつも愛らしく、生き生きしていたいな。

                  2022.11.13

創作の芽に水をやり、光を注ぐ、花を咲かせ、実を育てるまでの日々は楽しいことばかりではありません。読者がたった1人であっても書き続ける強さを学びながら、たった一つの言葉に勇気づけられ、また前を向いて歩き出すのが私たち物書きびとです。