自分の人生を振り返る(2歳から幼稚園編)
僕は暇なおじさん。気づけば38才になった。だけど僕にもみんなみたいに若い頃があったんだ。とりあえず自分語りから始めてみる。
2021年はもう少し考えてることをまとめて行こうと思う。よろしく。
僕と水泳との出会いは2歳だった。スイミングスクールは本来は3歳から入れるそうなのだが、両親が
「この子は3歳の子以上にちゃんと話しを聞けるからお願いします。」
と言って、なんとか2歳から入れてもらったと親から聞いた。そこまでして僕をスイミングに入れたかった理由はよくある虚弱体質だ。喘息とアトピー持ち。よくあるパターン。アトピーは今でもあるものの、喘息はおかげ様で完治している。水泳と出合わせてくれたのは両親なので、とても感謝している。
水泳を習い始めて数年間は、物心つく前の年齢なので僕の記憶には全くないのだが、スイミングに入って最初の1年はとにかくいつも泣きまくっていたらしく、結構コーチも手を焼いたそうだ。ただ、それが一年後にはガラッと変わったらしい。というのも僕には年子の妹がいて彼女もスイミングに通い始めたから。3歳児なりにもお兄ちゃんとしてのプライドがあったようだ。
次に記憶があるのは幼稚園。年長の時には全種目を習い終え、個人メドレーを開始していた。100m個人メドレーを2分58秒で泳いでいたということだけ何故か記憶している。理由はわからない。
そして小学校に入学した。この年に僕はザリガニとりした帰り道に遠回りするのがめんどくさくなり、他人の家の塀によじ登って近道をして帰ろうとした。その時に塀が崩れてしまい2mほど下のドブに落ち、さらに自分の上に塀が落ちてきた。
一緒に遊んでいた子は怖くなって逃げてしまった。僕はなんとか道路までたどり着いたものの、頭は血まみれで足に激痛を抱えていた。その状態で近所の人に見つかり、すぐ病院へ。
距骨骨折と頭を3箇所縫った。
全治一年と言われた。踵に体重が載せられないので膝に体重を載せて歩ける装具をつけて生活していた。これとともに水泳は辞めた。
なんとか半年で骨折が治った。それから1ヶ月後今度は膝を疲労骨折。バカな子供だったので装具をつけて走り回っていたのだ。それが原因。結局一年近く骨折して何もできない期間が続いていた。
骨折がようやく治った頃、妹が育成コース(選手コースの入門)に勧誘されて入ることになる。それを聞いた僕はなぜか「僕もやりたい」と言った。なぜかそれが認められた。珍しい苗字と小学校入学でも109センチしかなかった小柄な体で、負けん気な性格をしていたことでコーチが覚えててくれたのだ。
こうして僕は「水泳」から「競泳」の世界に足を踏み入れた。