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スープとイデオロギー|済州島四・三事件


この燻ぶりながら沸々とする
感情の昇華方法を、
私は 未だ得ることができていない。
だから
敢えて目を向けようとすることを
避けているのではないか。

気づいたら
帰り道を一駅分歩き過ぎるほど、
やるせなさとモヤモヤで
いっぱいになっていた。

道すがら
タバコの吸い殻を投げ捨てる人を見ても、
ふと自分の抱える悩みを思い出しても、
何もかもが 小さく感じた。

理不尽な戦争によって
突然
愛する人と引き裂かれ
平穏だった日常
希望を抱いていた未来
いのち丸ごとをも奪われた…
想像を絶するイタミを抱え続けて
生きている人たちに比べたら、
なんて“ちっぽけ”なのだと。

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1月 久高島で出会えた
映像作家の後藤サヤカさんに、
映画「スープとイデオロギー」のことを
教えていただいたのが一昨日。


久高島での体験から
巫俗信仰や4.3事件など
済州島の歴史について
また調べるようになったこともあり、
映画の予告を見てすぐに
これは観に行かないといけないと
直感が働いた。

国を超えたチカラによって
同じ民族・島民間で
虐殺をさせられた。
不安を煽り 仲違いさせ、
従わないとこうなると
見せしめのように、
正義を纏わせた暴力を振りかざす。
そのチカラの常套手段。

国家と家族
家族と自分
過去と今
薄れゆく記憶と留めたい記録


監督さんとご家族
それぞれの物語も
様々な間で揺れ動く。


聞き慣れた済州の方言で
助けを求める再現シーンでも
涙を抑えられなくなった。

悲しさだけではない
この感情を持ちたくなくて、
あるときから
戦争に関する映画など
辛くて観れなくなっていた。


だけど
繰り返さないでほしいという
願いを受け取ったように感じ、
目を逸らさずにいようと
考え直させてもらえた。


憤りよりも 祈りから。


僅かな人たちの
権力闘争の歴史を
知りたいわけではない。


たとえ
真実を知ることは難しくても
一つの視点だけから見るのではなく、
全てとつながる
“いのち”としての生き方、
それぞれが
自分で自分自分自身を満たして
安心できる在り方、
そこに意識を向け続けたい。


そしてやっぱり、
特に子どもたちには
安心して
いのちを輝かせてほしい。
そのために
今自分ができることを。


近々また済州島に
訪れることへの確信も強まった。
当時 生き残れた
ハラボジとハルモニは
もういないけれど、
聞くことが許されるならば
どうして そこで
生き延びることができたか
親戚にも聞いてみたい。


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柿内未央
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