【雑記】時代の流れと作品たち
いきなり大上段に構えるようだが、人類の歴史を大きく捉えたとき、身分のあった世の中から、個々人の自由が認められる平等な世の中に変わって来ているのだと思う。
その流れは今も着実に進んでいて、「多様性」や「ダイバーシティ」という言葉を、自分の身の回りでも聞くようになって久しい。
その世の中で、アーティストは、どのような立場にいるのだろうか。「自己表現」という言葉があるように、表現したい欲求があり、それは(他者とは違うという)「個性」でもあり、(他者や社会からの)「自由」にも、通じているように思う。初めに記載した「時代の流れ」に合わせて考えると、アーティストは、時代を先駆ける人とも言えるだろう。
次に、時代の流れの中で、何を作品の主題(テーマ)に選ぶのか、この観点から考えると、選択肢は幾つかあるように思う。
まず、これまで書いた流れからすると、「こういう世の中を作りたい。」「こういう世の中だったらいいなぁ。」といった世界観や、「こういう生き方をしたいんだ。」といった考えなど、現状を打破する、現状の「枠」を超えようとする作品が考えられる。
他方で、(勿論作品のジャンルもある訳だが)これまでの伝統や秩序の(枠を超えていく「自由」とはまた違う)枠が持つ「様式美(形式美)」に重きをおく作風や、古き良き時代を振り返る作品も考えられる。
この「他方で〜」以下の流れの中で、一種の変化球として、廃れていく(貴族)階級の物語があるように、最近思うようになった。例えば、チェーホフの『桜の園』や、それをベースとした太宰治の『斜陽』のような世界だ。
学生時代、太宰治の作品を読んで「滅びの美学」という言葉を知ったが、今振り返るとあまり理解出来ていなかったように思う。私の読み方があまり良くなかったこともあろうが、文学作品ということもあり、劇的、感情的に捉え過ぎていたように思う。
社会に出て、平等な世の中を作っていこうとする流れや動きがある一方、これまでの権益を失う人がいることを、現実味を持って感じることが出来るようになった。「自由」や「平等」を獲得していく中にドラマがある一方、地位を失う人たちにもドラマというか物語があるのだと思う。
そして、労働運動などの中で「革命を!」と言う人がいるのを見たことがある。私は驚いたのだが、深く考えていくと、政府への意見、批判から「革命」に連なる考えをする人がいてもおかしくはないと思うこともあった。
(追記)
世の中には、様々な立場の人がいて、生活している。そして、有為転変の世の中である。観念的になり過ぎることなく、現実的に物事を捉えることは意識していきたい。(追記ここまで)
今日は、かなり観念的な文章になった。もう少し整理出来るとよいのかもしれない。最近、気づいた雑記として投稿しようと思う。