「純文学」飯山陽VS「大衆文学」百田尚樹 バトルはいよいよ佳境へ
いやー、毎日、「飯山あかりチャンネル」が面白い。
飯山陽の、日本保守党、百田尚樹、有本香への悪口が面白い。
このところ、飯山さん言うところの「連続ドラマ」になっていて、毎日、少しずつ暴露している。
「飯山あかりチャンネル」の続きを見るのが、私の生きがいみたいになっている。
昨日(10月18日)のは、とくに面白かった。
【日本保守党百田代表ウソで自滅?!】都知事選不出馬の真実!(飯山あかりちゃんねる 2024/10/18)
「闇のクマさん」が例によって、いちばんいい場面を切り取ってくれている。
飯山さんは、有本香さんが東京都知事選に出ると言うから、その先鋒を買って出た(保守党の名前を売るため東京の衆院補選に出た)。
でも、有本さんは、都知事選に出なかった。
「やりたくなかったのでしょう」
勝てない、と思ったから、出なかったんでしょうね。
無駄な苦労はしたくない。それが、百田さんと有本さんに共通の人生哲学に思われますね。
でも、自分(飯山)には、無駄な負け戦を押し付けた。それなのに、有本さんは逃げた。「はしごを外された」と悔しがる飯山さん。
これも「走狗煮らる(不要になった猟犬は鍋で煮られる)」の例ですかね。その後のフォローは何もなく、ただ捨て駒にされ、むしろ排除され差別され・・
いやー面白い。
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今度の選挙では、日本保守党は議席を取れると言われている。
だから、無駄骨にならないので、百田さんも有本さんも張り切っている。
大丈夫、飯山さんがいくら悪評を広めても、大勢には影響ないと思う。
5議席取れるはずが、4議席に減る、という程度のことも、ないと思うね。
百田さんや有本さんへの「個人崇拝」で支持している人もいるかもしれないけど、それはたぶん少数派で、大方は彼らの正体はわかっていて、それでも政策への支持とか、政治的理由で支持している人が多いと思うからね。
でも、本当のところはどうなのか、わからない。
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百田さんの、飯山さんへの反応も面白い。
「自分のことは何を言われてもいいが、仲間をけなされるのは許せない」
みたいに、いちいち大衆受けを狙ったミエを切る。くっさい「大衆演劇」「大衆文学」なんだよね。
私はクサイと思うけど、それが受ける層が、けっこういるのかな。まあだから、百田さんの本は売れるんだろうからね。
そこには、マスコミ界で鍛えられた、「受ける」手法が凝縮されている。それは大したものなのだろう。
でも、この人に、自分を犠牲にして何かをする、といった精神はほとんど感じない。そういうことをしてきた人生には見えないね。
百田さんのが「大衆文学」だとすれば、飯山さんは「純文学」だな。
「真実」や知的クレジビリティを武器に、狭い層に攻めていく。
飯山さんの「口撃」は、狭い層にしか刺さらないと思う。「純文学」だからね。
でも、東大で博士号を取った人だから、知的クレジビリティ、知的な信頼性は、百田さん、有本さんより高い。まあ、学界での評価は低いとしても。
百田さん、有本さんのキャリアに、知的な信頼性を感じさせるものはほとんどない。
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「保守主義」を語るときにも、飯山さんは一応、福田恆存などを引用しながら、語っていた。
そういうところも、百田さん、有本さんはフォローできていなかった。たぶん読んでないんじゃないかな。
百田さんは、三島由紀夫も読んでないと言っていたし。
「朝ナマ」に出たときは、天皇のお言葉なんかも、ちゃんと聞いてないのが暴露されていた。
東京に来たときは、ちゃんと靖国行ってるのかな。行ってないんじゃないかな。
そういうことに興味がないんじゃないかと思う。
私は、大手町近辺に勤めていたときは、毎日のように靖国神社と千鳥ヶ淵の両方に行って、頭を下げていた。
天皇制は嫌いだけど、天皇のお言葉は、たぶん百田さんよりチェックしていると思う。
私は、A級戦犯が合祀されてるから靖国に行かない、という天皇が嫌いなんだよね(もしそれが本当だとしたら)。他の誰が行かなくても、あなただけは行かなくてはならないだろう、と思う。
それはともかく、百田さん、有本さんには、保守的態度というのを感じない。保守主義者ではない私より、保守っぽくないと思う。飯山さんの方に、まだ保守を感じる。
もともと、根っからの保守というより、安倍晋三さんに気に入られて持ち上げられたのが嬉しくて忘れられない、というのが大きかった人たちだと思う。
個人の感想ですが。
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百田さんとか、高須克弥さんとかを見ていると、社会学者の見田宗介(真木悠介)が分析していた「プチブル」という類型に、いちばん当てはまると思う。
大規模な生産手段を有するほどのブルジョアではないが、小金持ちで、意識はブルジョアの小ブルジョア。
プチブル、というマルクス主義的用語は、もう過去のものだけどね。
でも、地方の成功した自営業者によく見られる、金銭への執着、業績主義的な世界観、拡張主義的な行動と、それと同居する保守的な道徳観は、まさに昔「プチブル」と呼ばれた人のものですね。
見田は『価値意識の理論』で、ブルジョアジーの価値観を以下のように分析している。
・関心の焦点は自己目的化した金銭的な価値にある。
・しかも財貨にたいする要求水準は無限に上昇する傾向にある。
・いっさいの価値を量化して、金銭的価値に還元し、この一次元的な尺度によって計量する傾向がある。
・価値判断の準拠は自己の内部にあって、伝統や環境にない。
・ただし彼らの価値判断の内的な準拠は、世俗的な原理に立っている。
・人生にたいする態度は能動的であり、たえず拡張し変化を求める。
・業績本位である。
・社会的な視野は広いが、価値判断それ自体は自己中心的である。
(『価値意識の理論』1966、弘文堂 p285 傍点などを省略)
「地方の名士」によくいそうじゃないですか。ロータリークラブとかで社会奉仕活動をしながら、一方で、高級クラブで女体盛りを楽しみ、ハニトラ大好きみたいな。
自分は社会的に成功したから、大衆に当然のごとく道徳を説く立場にあるが、自分に関しては道徳的に甘く、特権的に享楽する資格があると思っている。まあ、そういうタイプ。
そういう人が、次のステップとして、政治家を目指すのもよくあることでしょう。
百田さんが、自分は本を何百万部売った、と自慢するたびに、ああブルジョアだなあ、と思う。
そういう人が悪いわけではないです。
でも、「保守主義者」からはかなり遠い。見田が分析するとおり、ブルジョアは、自分の外部の「伝統」などには、基本的に従わない。
社会主義や共産主義になったら、自分の特権が奪われて困る。保守の方が自分に得だから保守を支持している、だけですね、基本的には。
まあ、私にはそう見えます。
それが当たっているかはわからないし、当たっていたとしても、繰り返しになりますが、悪人だと言いたいわけではありません。
でも、私が尊敬するタイプではないですね。
といって、飯山さんを聖人だと思っているわけではないけど。
彼女は孤立無縁で孤軍奮闘しているみたいに見えるけど、彼女の夫はフジテレビの記者。別人格とはいえ、「背景」が気になるのも事実。これは前にも書いたけど。
自民党&既成保守と、参政党含めた新興保守との対立があるのかもしれない。その参政党が日本保守党を攻撃していて、保守界隈はカオスだ。
以前、池内恵さんと飯山さんがバトルしていたとき、出版の編集者はどっちにつくか決めなければならず、大変だなあ、と書いた。
しかし、今度はもっと大変ですね。保守マスコミは、飯山さんの扱いが難しくなる。保守マスコミが分裂する?
「国政政党」になれば、日本保守党のアラ探しも始まるでしょう。むしろリベラル派の出版社や新聞社が、「反・保守党」の論者として、飯山さんに接近するのか。
日本保守党の選挙の行方とともに、選挙後の出版界の動向も、元出版人としては気になってしまいます。
<参考>
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