【追悼】ああ、伊集院静さん
ああ、伊集院さんが亡くなったねえ。
私が生涯で見たなかで、いちばんかっこいい男だったな。
たまたま1週間前に書いた記事のなかで、私は伊集院さんに触れていた。
このnoteの記事は「日記」のつもりで書いているから、人名への敬称は基本、省いている。
でも、その記事でも、伊集院さんだけは「さん」をつけないわけにいかなかった。
稀代のモテ男だったけど、会えば1分で、男にも女にも、
「モテて当然!」
と思わせる人でしたね。
見た目がカッコよくて、頭のなかも才能にあふれて。
それもそうだけど、そこじゃない。
優しさ、というか、包容力がケタちがいだと感じさせる。
人への気のつかい方がハンパない。
「超」がつく人格者。
私がおぼえている、典型的な伊集院さんの姿は、文壇のパーティなんかで、水割りのグラスを片手に、人の話を「そうだねえ」「大変だよねえ」「うん、うん」とずーっと聞いている感じ。
伊集院さんに会うと、そのアニキ的な優しさに包まれて、ついつい人生相談とかしちゃう。伊集院さんは、いやな顔ひとつせず、それにずーっと付き合ってくれる。主に聞き役で。
はたから見ると、伊集院さんはいかにも疲れていて、いまにも倒れ込みそうなんだけど、目の前の相手にだけは、それを感じさせない。
「いま、自分に期待されていることに、全力でこたえる」みたいな感じ。
伊集院さんみたいな大物が、なんでそこまで人に優しくするのか、と、私のような小物は思うわけだけどね。
あんなふうに生きてたら、自分の体がやられちゃわないか、と、正直心配になっていた。
でも、それが、伊集院さんの「流儀」でしたね。
脳卒中で倒れたあと、まったく表に出てこなかったこと含めて、「かっこいい」と同時に、人に気をつかっていたのだと思う。
篠ひろ子さんの「最期まで自分の生き方を貫き通した」という言葉は、味わい深かった。
まあ、いくら「自分はモテる」という男が現れても、伊集院さんを知ってるから、「お前はまだまだだ」と言える。
ああ、伊集院さん。かっこいい男だった!