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お笑い人種差別

千葉県育ちのスーダン人の2人組「モハブログ」。

というのが何者かは、よく知らないけれど。

でも、彼らが年末にYouTubeに投稿した「世界の人種差別的なCMを再び見る」をたまたま見て、初笑いさせてもらった。


世界の人種差別的なCMを再び見る(moha.jp 2024/12/25)


海外の黒人差別的なCMを見て、黒人本人の二人がリアクションする、という内容で、抜群に面白かった。

ちなみに、タイトルに「再び」とあるとおり、第一弾がこの前に投稿されていたのだけど、それよりこの第二弾のほうが面白い。「差別CM」のクオリティが高いから。


このYouTube番組によれば、黒人差別CMは、タイやインドに多いらしい。

典型的には、洗濯機の優秀さを表現するために、黒人を「洗って」白人にする、とか。

化粧品の宣伝で、美白効果を強調するため、使用前に「黒人」を使って、使用後に「白人」を使う、とか。

それを黒人の二人が、笑いつつ怒りつつ、ギャーギャー言いながら見ている。


半ばエンターテイメントにして、「差別」とは何か、教育しているのがいい。

差別の問題は、昔の同和教育とか、今のジェンダー平等教育みたいに、真面目にやられるとつらい。

私なんか、中学のときの同和教育が、いまだにトラウマになっている。

「差別はいかん」と言う人に脅されているように感じた(実際、脅されていた)。

こういうふうにギャグをまじえて笑いながらやってくれると助かる。

こういうふうに、自然に差別される側の感情に共感できるやり方のほうが、差別が減ると思う。



年末年始は、Xで、「クロンボ」論争が起きていた。

たぶん、紅白歌合戦を見ていた「おばあちゃん」の感想が発端だった。


おばあちゃんテレビ見ながらありとあらゆる差別用語全部言ってるから最高
(@anothermoral 2024/12/31 19:30)


おばあちゃん普通に黒人のことクロンボとか言うからすごい、引き締まる俺の人権意識が
(@anothermoral 2024/12/31 22:11)


「クロンボ」だって昔は単に「黒人」を指す語に過ぎなかったわけで、だからこそ老人は普通に使ってるんですよ。 それを勝手に「差別用語」といい始めたヤツラの方が差別的って話をしとるんやがアホには分からんらしい。
(Rockwell 2025/1/2 17:15)


これが悪の根源です
(神奈川県人権啓発センター 2025/1/2 12:03)


80歳以上の高齢者にとって【黒んぼ】は差別語ではなく
普通に使われてた黒い肌や日焼けっ子を表す
言葉でしかないから
爺ちゃん婆ちゃんはめくらやつんぼも
知人と話す時なんかに
「ここ1、2年ですっかりめくら(つんぼ)になってさぁ」
みたいに単に視力聴力が衰えたという意味で
自分に対して使うよ
(イボナメクジ・チャーリー 2025/1/5 12:50)



私(いま60代)の子供の頃は、「抱っこちゃん」で遊んでいたし、「アンクルトムの小屋」は図書館の推薦図書だったし、「ちびくろサンボ」も普通に教科書に載っていた。


抱っこちゃん(文化遺産オンライン)


それらが、「黒人差別だ」となったのは、私が小学校を卒業するくらい、1970年ごろのことだったと思う。

「抱っこちゃん」も「ちびくろサンボ」も、この世から消えた。(ちびくろはその後復活した)

われわれが親しんだカルピスのトレードマークも消えた。



それは、上の神奈川県人権啓発センターが指摘しているように、解放同盟なんかと結びついた「言葉狩り」の結果だったかもしれない。

同時期に、アメリカで、公民権運動が過激化したような黒人意識向上(ブラックパワー)運動があって、「Black is beatiful」みたいなスローガンは、子供の私にもなんとなく伝わっていた。


言葉が差別しているわけではなく、それを使う人の意識の問題なのだから、単なる言葉狩りで差別がなくなるはずはない。

でも、日本で、タイやインドのような露骨な黒人差別CMが少ないとすれば、そういう運動の成果かもしれないから、やりすぎはあったにせよ、一概に否定できないかもしれない。


それでも、「モハ」の二人も指摘していたとおり、今も、日本人の「美白」を求める美意識に、黒人差別につながる価値観がないわけではない。

そういうのまで「差別」として問題にすべきかどうかは、私にもわからんね。


ただ、私が思うのは、この「モハ」の二人も言うとおり、どうせ差別はなくならない、ということ。

まあ、こういうYouTube番組なんかを通し、時間をかけて、一緒に笑ったり怒ったりしているうちに、自然に差別が減っていく、というのがいいと思う。



<参考>


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