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同性愛作曲家(チャイコフスキーとか)の教え方 LGBTと音楽教育

令和7(2025)年度から使われる中学校の教科書で、LGBTなど性的少数者の記述が増えるという。

しかも、保健体育だけではなく、地理など、一見関係なさそうな教科にも波及しているようです。


検定結果によると、保健体育では「人間の性は単純に『男性』と『女性』に分けられるものではありません」などの説明とともに、合格した全3点の教科書が「性の多様性」について踏み込んだ内容を記述した。
性教育とは関係の薄い地理でも「性的少数者に配慮した社会へ」として、同性婚を法制化したニュージーランドなどの事例を好意的に紹介するコラムを掲載した教科書がある。
(産経新聞3月24日)


そこで私が思ったのが「音楽」ですね。

チャイコフスキー、シマノフスキ、ブリテン、コープランドなど、著名な同性愛作曲家について、子供たちにどう教えるか、という問題です。


大作曲家の同性愛が隠されている?


というのも、これらの大作曲家が同性愛者であったことを、日本では隠す傾向があるからです。

これ、前から気になっていました。

なにか「よくないこと」のように隠すことこそ、いちばんいけない差別でしょう。


ソビエト連邦は、チャイコフスキーが同性愛者であることを示す言論は、検閲して弾圧したそうです。

日本では、いまでも、ちょっと同じことが起こっています。


たとえば、日本のWikipediaでの記述を、海外のそれとくらべると歴然です。

彼らが同性愛者であったことは、英語版のWikipediaにはかなり詳しく記されています。

しかし、日本語版では、それはほとんど触れられていないんですね。(以下、2024年3月24日時点のWIkiを参照します)


チャイコフスキー


チャイコフスキーが同性愛者であったことは、さすがに日本版のWikiでも触れられています。

ただし、「伝記作家たちの多くは、チャイコフスキーが同性愛者であったことに同意している」という1行だけです。


いっぽう、英語版「チャイコフスキー」では、「19世紀の作曲家で最も盛んに議論され、当時のロシアの作曲家の中で最も確実な彼の同性愛」について、多くの字数を費やしています。

(Discussion of Tchaikovsky's personal life, especially his sexuality, has perhaps been the most extensive of any composer in the 19th century and certainly of any Russian composer of his time. It has also at times caused considerable confusion, from Soviet efforts to expunge all references to homosexuality and portray him as a heterosexual, to efforts at analysis by Western biographers. Biographers have generally agreed that Tchaikovsky was homosexual.)


チャイコフスキーの死因に関しても、英語版はさまざまな議論を紹介したうえで「不明」としていますが、日本語版では「男色関係」が関与したことを積極的に否定しています。

まるで、「大作曲家のチャイコフスキーが、そんなはずはない」とでも言うように。


シマノフスキ


より顕著なのは、シマノフスキです。

日本語版「シマノフスキ」では、彼の同性愛についてまったく触れられていません。


いっぽう、英語版では、同性愛を告白した彼の小説や、彼の同性愛に言及したアルトゥール・ルービンシュタインの自伝の一節などが紹介されています。


ブリテン


ブリテンについても、日本語版wikiは、ピーター・ピアーズとの関係を、「生涯にわたり盟友として関係を築く」と記すのみ。


ブリテンとピアーズという、20世紀でたぶん最も有名なゲイカップルについては、英語版では、慎重ではありますが、よりニュアンス豊かに記述しています。


コープランド


コープランドの同性愛について、日本版Wikiでは触れていません。そもそも、なんともそっけない分量ですね。


英語版では、記述量が膨大なだけでなく、彼の同性愛についても、その相手の名前を複数挙げるなど、詳しく記しています。


以上のように、日本語版は、だれかに検閲されたかのように、同性愛についての記述が少ないのですね。

Wikipediaにどれほどの権威があるかはともかく、LGBT認識での日本の保守性を表しているように感じます。

もしLGBTについて、社会的偏見をただしていきたいというなら、そんなところから見直していくべきではないでしょうか。


シマノフスキの場合


もちろん、同性愛者であることを、伝記的事実以上に、ゴシップのように誇張して伝えよというのではありません。

これらの大作曲家の作品と、同性愛を直接結び付けることには、慎重であるべきでしょう。

しかし、彼らが同性愛者であったことが、その音楽の理解に欠かせない場合があります。


カロル・シマノフスキは、その典型でしょう。


クリスティアン・ツイメルマンは、2022年に、日本で録音したシマノフスキのピアノ曲集を出しました。

そのさいに、彼がシマノフスキを解説している動画がYouTubeにあります。

そのなかで、ツイメルマンは、シマノフスキが「いわゆる『普通の人』ではなかった」ことが理解のかぎであることを(オスカー・ワイルドを引き合いに出しながら)述べています。

シマノフスキは「いわゆる普通ではなかった」と「引用符」ポーズをつくりながら話すツイメルマン(Krystian Zimerman: About his recording „Szymanowski: Piano Works”より)


シマノフスキは、みずからの同性愛を告白することによって、ショパンなどの模倣から脱し、独自の音楽をつくり始めたのは、広く認められていることだと思います。

彼の音楽は、それによって、憂愁に閉ざされたような初期の音楽から、明るく、開放的になります。

彼は、みずからの同性愛の深い自覚から、性別や人種、時代を超えた独自の音楽を追求するようになる。その点でも、LGBTとのかかわりで、重要な意味をもつ作曲家です。


さらに言うなら、日本は本来、シマノフスキに理解の深い国なんですね。日本シマノフスキ協会なんてのが早くからありますし、ツイメルマンも、日本の春秋社版のシマノフスキの楽譜を評価しているほどです。

シマノフスキから、LGBTへの理解を深める教育も、ありなのではないでしょうか。


クラシック音楽とLGBT


また、クラシック音楽界には、アメリカのマリン・オールソップや、マイケル・ティルソン・トーマスなど、同性愛を公表し、同性婚している著名な演奏家もいます。

先ごろ来日した作曲家のジョン・アダムズも、来日インタビューで、マイケル・ティルソン・トーマスと、その「夫」であるジョシュア・ロビンソンに言及していました(来日のさい日本初演された「アイ・スティル・ダンス」は、このゲイカップルに献呈されている)。


世の中には、同性愛者が「ふつうにいる」ということ。

それを示すことが、LGBT理解への一歩になるのではないかと思います。


それとともに、性についての固定観念を脱し、女性指揮者や女性作曲家が世界的にふえている現状を、励ますことも重要でしょう。


くわえて、音楽批評・表現における「男らしい演奏」とか、「第二主題は女らしく」といったセクシズムを再考していくことも必要でしょう。

それについては、以前も書きました。


私は、「男らしさ」のような価値観を、「差別的だからなくせ」と言いたいわけではありません。

冒頭に紹介した産経新聞の記事が心配するように、伝統的価値の一方的破壊になるような過激主義には反対です。

個人的には、「男らしさ」は、維持したい貴重な価値です。

でも、クラシック界は保守的で、「ブルックナーはやっぱり男の指揮者でなくては」的な価値観がまだ残っているなかでは、ジェンダーフリーな価値観を主張する必要があります。


LGBTの左翼的な極端な運動については、私はずっと批判してきました。

「差別だからやめろ」というのは、すべてむなしく、危険な動きです(効果がなく、抑圧的なだけだから)。


でも、LGBTに関して、「音楽」には主張すべきことがあります。

芸術は自由であること。また「愛」は、肉体的なものから精神的なものまで、幅広いこと、など。

それを教えるのに、「音楽」という教材は有用だと言いたいのであります。



<参考>


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