宏洋逮捕と「悪口を言わない難しさ」
大川隆法の長男の「宏洋(ひろし)」が、女性への名誉棄損容疑で逮捕された。
YouTubeでの悪口が原因らしい。
名誉棄損で逮捕ということは、民事ではなく、刑事のほうの名誉棄損だ。起訴されれば懲役もありうるけど、初犯だからたぶんそれはない、と丸山ゴンザレスのYouTube番組で解説していた。
宏洋は、父親の姓「大川」を使いたくない、と、昨年渋谷区議選に立候補したときも活動名「宏洋」で通していた(選挙は落選)。
でも、事件を起こすと、新聞には「大川宏洋」「大川隆法の長男」と書かれてしまう。
わたしも宏洋の「ぶっちゃけ」ぶりを面白がって、記事にもしていた。
わたしは、その問題になったYouTubeは見ていない。
ただ、最近の、カネがない、とか、体の具合が悪い、とかの動画は見ていて、どうしたのかと心配していた。
同時に、それと関係があるのかないのか、最近の彼には、人間的にちょっと「くるっている」感じがあった。
この人は「頭の回転が速い人だなあ」と感心していたが、そういう人に多い、「悪口をがまんできない病気」にかかっているようだった。
大江健三郎だったか、
「人にたいする悪口を、思いついても言わないで、がまんするのが、つまり優しさということだ」
とか言っていた。
頭のいい人は、いちはやく人の弱点や欠点を見破るから、悪口がうまい。
人より早く、悪口が言える快感に、酔ってしまうことはよくある。
そう、悪口には、抗しがたい快感がある。「嗜虐」というやつだ。
SNSでも、まあ、あまり頭のよくない人は「迷惑系」になっていくけど、頭のいい人は「悪口系」になる。
日本保守党界隈で、飯山陽と池内恵がまだ悪口を言い合っているあたりが、その典型ですね。
悪口には需要があり、SNSでは収益にもなるが、最近は誹謗中傷や名誉棄損にたいして厳しくなってきた。そろそろ「悪口系」も自重したほうがいい。
これは他人事ではまったくなくて、わたしは、頭がいいかどうかはともかく、人の悪口が大好きで、それで人生をさんざん失敗してきた。
筆禍や舌禍は数知れず、それで人を傷つけ、恋人や友達をなくし、出世をふいにし、現在のような孤独と貧困の悲哀をなめている。
わたしはもう仕方ないが、若い人はまだ出直せるのだから、「悪口の快感」「悪口のアディクション」から早く抜け出してほしい。
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いっぽう、この悪口の快感が、知性や批評性とも結びついている面があって、これが難しい。
マスコミ人は、いまでこそポリコレ警察みたいになっているけど、むかしは口の悪い人の集まりだった。
性格の悪い人が向いているのが、作家や新聞記者、ジャーナリストですね。人の欠点や失敗をあげつらうのが仕事だから。
望月イソコなんかは、新聞記者にならなかったら、SNSや会社の給湯室で悪口をいいまくっている女になっただろう。新聞記者になってよかったと思う(あ、またわたしの悪口癖が出ている)。
哲学者の永井均が、きょう深夜、こんなポストをしていた。
「今日のポリティカル・コレクトネスはほとんどすべての西洋哲学を許容不可能なものにしたのです。少しずつ、考えてはならない事柄が増えています。恐ろしいことです。」真に、恐ろしいことだと思います。
ポリコレで、人を傷つけていはいけない、と「自己検閲」しすぎると、知性が抑圧され、「哲学の不能」にまで行きついてしまう。
話が飛躍しすぎかもしれないけど、そういうことも考えないといけない。
少なくとも、悪口が言えないと、お笑いも成り立たない。爆笑問題とかどうするんだろうね。「いい人」になったら、価値がなくなる。
宏洋から話がそれてしまったが、YouTubeなどのSNSへの耽溺が、「ぶっちゃけ(暴露)」や「悪口」を、破滅的な方向に導いているのはたしかだと思う。
宏洋さんも、SNSから離れ、作家やジャーナリストなど、悪口能力を生かせる「正業」を、まじめにめざしてはどうだろう。
出所(?)したら、丸山ゴンザレスとかに弟子入りして、宗教ジャーナリストになればいいと思う。