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大統領たちが愛した映画「真昼の決闘」

きのう「赤狩り」のことを書いていて、「真昼の決闘」を思い出していた。

「真昼の決闘 High Noon」(1952)は、私の子供時代(1960年代)、何度も何度もテレビで放映されていました。

子供時代からずっと、私のいちばん好きな映画でした。

今はそうでもないーー。

と思って、YouTubeでその一部を見ただけで、また涙がボロボロ出てきました。

感動がよみがえってきて。

まあ、老人になって、涙腺がゆるくなってることもあるけど。


「真昼の決闘」のラストシーン


数十分後、ようやく涙が止まって、「真昼の決闘」の主題歌だけ聴きたくなった。

「オレを見捨てないでくれ Do not forsake me, oh my darling」という、あの歌ですね。

映画のあらすじをそのまんま歌っているこのバラードは、ヒット曲だからいろんなアレンジがあるけど、伴奏楽器を意図的に最小限にしたオリジナルがいちばんいい。

それで、動画を探して、聴いてたら、また涙が出てきて。

今度は本当に止まらなくなってしまった。


Do not forsake me, oh, my darling - Tex Ritter original soundtrack High Noon


「真昼の決闘」と「赤狩り」とのかかわりは、有名な話だし、複雑で長い話でもある。


「赤狩り」についての評価は、いまだに揺れています。


昔ほど、それを「絶対悪」のように言われなくなりました。

赤狩り当時は冤罪のように言われたが、ローゼンバーグやアルジャー・ヒスのように、実際にソ連のスパイだった証拠が、冷戦後に出てきた人たちもいる。

ハリウッドでも、映画に共産主義思想を盛り込め、と指令された脚本家がいたことが後にわかっています。

とはいえ、赤狩りが全体として、褒められたことばかりでなかったのも事実。


その話は、ここでは置いておきます。


「真昼の決闘」と「赤狩り」との関連だけ、簡単に書きましょう。

脚本家のカール・フォアマンは、アメリカ共産党に関与していて、この映画の製作中に非米活動委員会に呼ばれていた。

「アカ」と認定されれば、映画界から追放される。

彼は、この映画のストーリーに、「赤狩り」批判のメッセージを込めました。


基本的には、4人の悪漢が襲って来るのを、保安官が迎え撃つ話。

街の危機なのに、巻き込まれるのを恐れて、ひとり戦う保安官を見捨てる住民たち。

最後、保安官が敵を倒すと、街の住民たちがようやく姿を見せて、保安官に近寄ってくる。

その住民たちを怒りの表情で一瞥したあと、保安官は、保安官バッジを投げ捨て、街を去っていく。というのがラストシーン。

「赤狩り」について、見て見ぬふりをしている社会への非難ですね。


フレッド・ジンネマン監督は、そういう政治的メッセージはない、と否定したけど、その意味は当時の観客にもすぐ分かったようです。

その証拠に、最初に保安官役をオファーされたジョン・ウェインは、右翼・愛国者だったので、オファーを断った。

そして、バッジを投げ捨てる「非アメリカ的」なラストシーンを、映画公開後も非難しつづけました。(でも、自分の代わりに保安官役をやった友人のゲーリー・クーパーが、この映画でアカデミー賞を取った時は祝福した)

脚本家のフォアマンは、この映画を最後にアメリカを脱出し、イギリスに亡命しました。



その製作の経緯から、それじゃこの映画には共産主義のイデオロギーが入っているのか、といえば、そんなことはない。

この映画は、いち早く議会図書館に保存されるなど、アメリカで国宝級の扱いを受けているし、最高の西部劇の一つ、という評価は定着しています。


この「真昼の決闘」は、アメリカ大統領が愛する映画、として有名ですね。それも、民主党、共和党関係なく。

アイゼンハワーとか、レーガンとか、クリントンとか、ジョージ・W・ブッシュとかが、この映画のファンであることを公言している。あの反共主義者のレーガンを含めて、ですから。

アイゼンハワーやクリントンは、ホワイトハウスでこの映画の上映会を何度もやった。

小泉純一郎もこの映画のファンで、訪米時に、W・ブッシュからビデオを贈られました。

ビル・クリントンは、この映画が自分のナンバー1だと言ってましたね。

クリントンは、政治家がこの映画を愛する理由を、こう説明しています。

「真昼の決闘のゲーリー・クーパーに、政治家が自己同一化するのは不思議ではありません。政治家に限らないが、人には、周囲の意見に逆らって進まなければならない時がある。自分は孤立している、周りは助けてくれない、という状況になるたび、クーパー演じる保安官の姿が思い浮かぶのです」

"It's no accident that politicians see themselves as Gary Cooper in High Noon," Clinton said. "Not just politicians, but anyone who's forced to go against the popular will. Any time you're alone and you feel you're not getting the support you need, Cooper's Will Kane becomes the perfect metaphor."


ちなみに、トランプの好きな映画は何だろう、と調べたら、「真昼の決闘」はあげず、

ジャン=クロード・ヴァン・ダムのデビュー作「ブラッド・スポーツ」

をあげていました。

面白い趣味だ・・




1989年、ポーランドの「連帯」は、ソ連の共産党支配からの離脱を決める選挙のさいに、「真昼の決闘」のクーパーをポスターに使いました。


1989年の連帯のポスター 記されたポーランド語の意味は、"At High Noon, June 4, 1989" 英語版wikiより


周囲の意見に流されるな、自分の意思で投票しろ、という意味ですね。

もともと共産党シンパが反共主義批判で書いた映画なのに、共産党からの離脱のために使われる、というのが歴史の皮肉です。


また、この映画には、二人の女性が出てくる。

街の治安を守れない男たちに絶望し、クェーカー教徒で平和主義者の女性(グレース・ケリー演じる保安官の花嫁)は、最後に銃を抜く。

そういうところに、当時の西部劇では珍しい、自立した女性像を見て、フェミニズム的映画として評価する人もいます。


「真昼の決闘」という映画は、こういうふうに、イデオロギーや主義・党派を超えて、人々に訴える政治力があった。

最高の政治映画、と言っていいのではないでしょうか。


この映画がそういう力を持ったのは、上に述べたような、ある種、時局的で、偶然の理由によります。最初からねらったというよりも。

それが面白いと思うんですね。


あと、あまり言われないのは、主題歌を含めたディミトリ・ティオムキンの音楽の力です。

ウクライナ生まれの彼は、プロコフィエフやショスタコーヴィチと同じ教育をロシアで受けた音楽家で、ロシア革命でアメリカに逃れてきた人でした。ピアニストでもあり、ガーシュインの初演なんかもやってます。

ティオムキンは、「アラモ」「ローハイド」「ダイヤルMを回せ」などの音楽も有名です。「自分はプロコフィエフほど才能がないが、映画に合った音楽は書ける」と言っています。

フランク・キャプラとの仕事が多く、数日前に宮崎駿監督の話題で紹介した、アメリカ陸軍のプロパガンダ映画にもかかわっているようです。

彼については、また別の機会に。



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