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「気流の鳴る音」見田宗介の死

社会学者の見田宗介さんが亡くなった。

(以下、敬称略)

懐かしさで、書棚に残る見田の『価値意識の理論』(彼の修士論文の書籍化)を取り出すと、パラパラと何枚もメモがページから落ちてくる。

高校時代、これを読みながら取っていたメモだ。ページへの多くの書き込みとともに、若い時の自分の入れ込み具合にマジびびった。

価値意識の「基準」と「準拠」を分ける前半の議論が特に気に入ったらしく、メモでは、それによって「エゴイスト」「ナルシシスト」「主体的な人間」などを分類している。

曖昧な日常言語が、明晰に概念規定される作業に、興奮していたのがわかる。

「理論家」というものへの憧れを持った最初かもしれない。

しかし、大学に入る少し前から、なぜか見田にも社会学にも関心を失った。

他に関心を引くものがあったからだろう。

大学を出る頃に、今度は、見田の変名である真木悠介の一連の著作に出会うことになる。

それはどちらかというと周りの影響で、みんなが『気流の鳴る音』を読んでいたからだ。

見田(真木)を中心に、コミューン主義者のグループが出来ていた。それは思想集団のようでもあり、真木悠介ファンクラブのようでもあった。

当時「気流族」という言葉があった、と記憶しているが、ネットで検索しても全く引っかからないのを見ると、私の勘違いか、ネット時代のはるか以前に死語となったか、どちらかだろう。

友人知人の何人かは、コミューン運動に入れ込み、大学を止めた。私もいくつかのコミューン運動体を視察した(そのあたりのことは、小説「1989年のアウトポスト」に少し書いた)。

それが1980年代前半のころで、私はそれ以上、コミューン運動とも真木悠介とも関わらなかった。見田宗介との関係は、それきりである。

今振り返れば、60年代のマルクス主義の隆盛期から、その後退期、そして70年代の「精神世界」ブームまでを伴走した理論家だった。

その後は社会的影響力を失ったように思える。オウム真理教事件などが多少は影響したのだろうか。基本スタンスが反資本主義なので、岩波・朝日とはずっと仲がよかった印象だ。

私が気になるのは、もちろん、彼に「人生をくるわされて」生き方を変えた人たちが、その後どのように生き、いまどう思っているかである。


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