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今ではありえない60年代懐かし広告
地震に関連して、子供のころ、「ラジオ技術」の通信教育を受けた話を書きました。
それで、その通信教育の広告が、私の持っている以下の本に載っているかもしれない、と思ったのです。
1965~69年の子供向け広告を集めた本です。
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ちなみに、この本は、私の本棚で、たまたま篠山紀信の『135人の女ともだち』の隣に並んでいた。
で、この本で探したら、やっぱりありました。ラジオ技術通信教育の広告。
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小学生の私が、この「電波ボーイはモテモテ!」というコピーに惹かれたのは間違いないw
「ラジオやステレオの調子をチョイとなおしてごらん。「カッコいーい」と猛烈にモテて困ってしまう。」
という広告文もイカス。
というか、このころの広告文に、私の文体はすごく影響されているのがわかって、いま愕然としている。
もちろん、この通信教育を受けて、「猛烈にモテて困ってしまう」経験は、このときも、このあとも、一切ありませんでした。
で、改めてこの本を読んで、「いまでは考えられない」みたいな懐かしい広告がたくさんあったので、ここでいくつか引用します。
デビッド・マッカラムに見つめられたい!
デビッド・マッカラムの全版ポスターがもらえる広告。
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デビッド・マッカラムって、若い人が知っているとしても、ドラマ「NCIS」の老検死官「ダッキー」役として、でしょう。
昨年9月、90歳で亡くなりました。
しかし、1960年代には、「ナポレオン・ソロ」のイリヤ・クリヤキン役で、日本の女のコのアイドルだった。
ということを、私と同世代の人でも、ほとんど忘れているのではないでしょうか。
このポスターを部屋に貼って、少女時代にデビッド・マッカラムに見つめられて過ごした現在のお婆ちゃんたちは、昨年の訃報に何か感じることがあったでしょうか。
「ナポレオン・ソロ」はぼくも見ていたけど、普通に主役ソロ役のロバート・ヴォーンが好きで、女のコの「イリヤ」人気はあまりわからなかったな。
デビッド・マッカラムは、若い時はちょっとひ弱な美少年風で、ジャニーズ的ではあったね。
ナチス党員章が大人気!
ナチス関連商品の通信販売が、ふつうに子供雑誌に載っていました。いまなら国際問題になりかねない。
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ヒューゴー・ボスがデザインしたナチスの制服のカッコよさは、いまでもみんな認めてますからね。
子供が見てもかっこよかった。
ナチス好きが高じて、いんちきドイツ語で延々演説をしていた奇人の話をクーロン黒沢が書いていたけど、そういうマニアは珍しくなかったかもしれません。そういう人がファシストとか極右とかいうわけでは必ずしもない。
そもそもナチスドイツは友軍でしたから、日本人が敵視するいわれはありません。「大脱走」(1963)とか「パットン大戦車軍団」(1970)とかの有名映画を見ても、アメリカでさえ、そのころまでナチスドイツをそれほど「悪魔化」していなかった。
ドラマ「ホロコースト」などを通じて、ナチスドイツの悪魔の所業が広まるのは、むしろ70年代以降だった記憶があります。60年代には、こういう広告が載っていたことが、その証拠でもあるでしょう。(アメリカの原爆も、ガス室と同じくらい人道にたいする罪だと思いますけど。)
銃で勉強づかれをぶっとばそー!
このライフル銃の広告も、雑誌で死ぬほど見ました。
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ぼくも欲しくてたまらなかったけど、高くて結局買えなかったなあ。
モデルガンや武器の通信販売広告は、切手の通信販売広告とともに、定番中の定番でしたね。
男のコの戦争好き、武器好きは、DNAに刻まれています。
当時は、日教組の組織率が史上最高くらいで、学校では平和教育ばかりやってましたが、そんなもん真面目に聞いてません。ぼくもそうでした。
旧日本軍の戦闘機、軍艦のプラモデルも大人気でした。
まあ、戦争好きといっても、戦争の実践より、戦争にまつわること、戦争ごっこが好きということでありますが・・。
ただ、「戦争は二度とごめんだ」という戦後の思いが忘れられている・・とよく言われるけど、そういうのは、60年代以降の「反戦平和」の左翼スローガンから生まれた部分もあるんですよね。
60年代までは、「明治天皇と日露大戦争」(1957)とか「日本海大海戦」(1969)みたいな(「反戦的」ではない)戦争映画がふつうに劇場にかかっていた。
戦後すぐで言えば、前に書いたように、社会党も共産党も、憲法9条を問題視して改憲を主張していた。
創価学会=公明党だって、60年代のころはべつに「平和」なんて言ってなかった。まあ、それはまたべつの機会に。
大人の世界でも、1960~80年代は、狩猟が流行るなど、「ガンブーム」がありました。
それが1970年代に規制が始まり、狩猟ブームとともにすたれていきました。それで、猟師が減り、クマが日本全土にはびこるわけです(?)。
ドンドン太りたい!
いまでは信じられない「ドンドンふとりたい」人のための「ふとる薬」の広告。
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こういう広告もけっこうあった。「背を伸ばす」よりも「太りたい」。
背景を考えると、悲しい現実がありますね。1960年代は、まだ日本は貧しく、栄養失調児がいた。
この広告文によれば、オリンピックで日本選手の体が小さく見えたことがコンプレックスになったようです。子供たちは、「モテ」の要素というより、外国人に力で負けないよう「カラダを大きくしたい」と思ったのでしょう。
この時代から見れば、現在の「やせたい」というのが、いかにぜいたくな悩みなのか、わかります。
流れる方向指示器!
これはいまでも欲しい。6つのフラッシャーライトが流れるように点滅して方向指示する自転車。
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子供用の自転車が大流行していた。セキネとか、丸石とか、いまはあまり見ない自転車ブランドの広告がよく載っていました。
とくに、「変速ギア」に、みなあこがれました。それがまだ目新しかったのです。
それが一巡すると、差別化のために、次は「デコレーション」に走ったわけですね。この「方向指示器」なんかがそうです。ヘッドライトも2個ついている。
こういう流れが、たぶん「デコトラ」みたいな世界に通じていた。
全世界注目の第4筆記具!
個人的には、これが超なつかしい。
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定期的にブームがくる「変わり種文房具」のなかでも、とりわけ記憶に残っています。
「マニカラー」という名前で、「1本で何色も使える」という筆記具がいくつかあったのですが、これがいちばん独創的だったと思う。
色種の多い色鉛筆をもっているとエライ、みたいなのがあった。ちょうどカラーテレビが普及しはじめたころ。いろんな色がある、そして、色で「主張」できる、ということに、世の中全体が目覚めはじめていたのかもしれない。
「マニカラー」も、この形のは1960年代だけではないでしょうか。その後見た記憶がありません。