たらい回しにされた女 坂本睦子
坂本睦子は、文学の研究者で知らない人はいないだろう。
どういう人かというと、こういう人だ。(あるブログにうまく要約されていたので引用したい)
直木三十五は睦子の処女を奪った。この一事が睦子の人生を変えた。この三十五の後、睦子は菊池寛の囲われ者になった。中原中也は結婚の申し込みをした。睦子はこの申し出を断った。寛の手から睦子を奪ったのが小林秀雄だった。秀雄は睦子と結婚の約束をしたが、睦子は関西出身の十種競技のオリンピック選手と駆け落ちする。次に睦子の恋愛相手となったのは坂口安吾である。睦子の肉体に一番ながい間親しんだのは河上徹太郎である。大岡昇平は徹太郎から睦子を奪いとるかたちで愛人にした。文壇でたらいまわしにされた妖女のすさまじき生。
坂本睦子は、白い肌が際立つ16歳の美少女時代、39歳の直木三十五に乱暴に処女を奪われたので、不感症になったと言われた(白州正子はそれが自殺の遠因だと考えていた)。
直木は、文藝春秋社の別館「木挽町倶楽部」に多くの少女を連れ込んで、同じような行為を繰り返していたらしい。
だから、このゴーカン野郎の名を冠した文学賞でマスコミが騒ぐたびに、可哀想な女の子たちのことを思い出してあげてくださいね。
以後、坂本睦子は「男と深い仲になる癖」で何十人もの男と付き合ったが、結婚も出産もしなかった。大岡昇平に捨てられた後、1958年、44歳で睡眠薬により自殺した。
坂本睦子自身は文章を残していない。しかし、戦後文壇の「妖女」「魔性の女」と呼ばれた坂本睦子について、当事者の大岡昇平「花影」をはじめ、プロの作家によって、それなりに書かれてきた。
大物文化人ばかりが登場する彼女の交友録は、小説やドラマ、ドキュメンターの題材として格好である。
でも、現在、一般の人が知るほど有名とは言えないのは、次の事情があるのではないか。
坂本睦子は、基本的には、バーのホステス(女給)である。作家や文壇と付き合ったというより、銀座・有楽町という土地に結びついて「夜の世界」を生きた。友人だった白州正子は、「銀座に生き、銀座に死す」という彼女への追悼文を書いた。
戦後、1960年代くらいまでの銀座・有楽町界隈は、朝日・毎日はじめ主要新聞社、電通(東銀座)や出版社が集まったマスコミの中心地だった(今は朝日のマリオンやマガジンハウス社などが残るだけ)。
だから坂本を「たらい回し」したのは、作家だけではない。新聞社員、テレビ局員、学者、編集者なども「坂本の身体を通り過ぎた」のだ。
新聞社やテレビ局、出版社の幹部も関係者だった。作家タブーもあるだろうが、もっと内輪のタブーに触れる意味でも、テレビドラマやドキュメンタリー番組の題材に取り上げにくかったのではないか。
今では関係者はすべて死んでいるか、生きていても現役ではない(ナベツネとかが関係者だったら知らないが)。今からでもテレビドラマとかになってほしい。
鎌倉殿の13人、みたいな感じで、サカモトの殿13人、という大河ドラマをやらないか。13人の有名作家・文化人が次々とサカモトと寝る。それぞれの作家・文化人の女あしらい、性癖をみんなで論評できて、茶の間でもネットでも盛り上がると思う。私に脚本を書かせろ。
坂本睦子は愛人として生きたわけだが、もちろん一方的な被害者とだけ考えるのは間違いだろう。
かつて、金持ちや社会的有力者は愛人(めかけ)を持つのが当然で、「男の甲斐性」という通念があった。だから昔の大物実業家とかには腹違いの兄弟が多い。上級国民は事実上の一夫多妻制だった。(今もそれは残っていると思うし、男女入れ替えた例もあるかもしれないが、多分昔ほどではない)
男女雇用機会均等法なんかがない時代、睦子のような孤児同然に育った女には、愛人業は1つの生き方であり、ビジネスでもあった。
とはいえ、最後は自殺に終わった睦子の生涯が、幸福であったとも言えないだろう。
大岡昇平の「花影(かえい)」や、その「花影」の背景を描いた久世光彦の「女神(じょしん)」などについては、別に書きたいと思う。(ちなみに「花影」は傑作です)
とりあえず、私が坂本睦子に触れざるを得ないのは、私の地元(柿生)ゆかりの文化人、河上徹太郎について書こうとすると、避けて通れないからだ。
上の引用にもある通り、坂本睦子と最も長く付き合ったのは、河上徹太郎だった。
小林秀雄、河上徹太郎、坂本睦子の三角関係も、ドラマの格好の素材だと思うが、それについて次に書きたい。